自己責任論を批判する

以下は、2004年に、韓国の『当代批評』に寄稿したものである。文中のインターネットサイトへのリンクは「リンク切れ」になっているが、検索の便宜のためにそのままにしてある。


2004年4月7日に三名の日本人のNGO活動家ジャーナリストがイラクの反米抵抗勢力によって拉致された。武装抵抗勢力側の主要な要求は、自衛隊の撤退であった。この事件は、9日後に三名が無事解放されて一応の決着がついた。

その後も日本人のジャーナリストや反戦活動家が人質になる事件が起きた。この4月の事件は、人質となった人たちの家族や支援者たちが自衛隊の撤退を要求するなかで、小泉内閣は、自衛隊の撤退を拒否し、人質の生命の安全についても保障しないという強硬な姿勢をとりつづけたばかりか、人質事件が引き起こされた原因を政府の警告を無視してイラクに入国した被害者たちの無責任な行動にあるとして、被害者たちの「自己責任」を強調した出来事として重要な意味をもった。殆んどのマスメディアも被害者たちの無責任な行動を批判する論調をとり、被害者とその家族には連日多数の非難や誹謗中傷が寄せられた。

その後、国内から政府の「自己責任」論への批判が高まり、海外のメディアが日本政府の「自己責任」論を批判するに至って、ようやく日本のマスメディアの論調も被害者の「自己責任」一辺倒から抜け出したように見える。しかし、多くの日本人は、この事件に関して、政府の警告を無視したこと、政府に多大の迷惑をかけたこと、膨大な税金がかれらの救出のために使われたことなどをめぐって、ある種の「不信感」を持つ者少なくない。

この事件は、戦時体制に突入した国家の非道と自己矛盾を如実に示した。日本の自衛隊は、「石油資源の9割近くを中東地域に依存する我が国を含む国際社会の平和と安全の確保にとって極めて重要」(注「ラク人道復興支援特措法に基づく対応措置に関する基本計画」、http://www.kantei.go.jp/jp/fukkosien/iraq/040618kihon.html)との位置づけで出兵している。日本の出兵はあきらかに石油資源の確保という国家権益のためのものだ。この点で、日本がかつて繰り返してきた侵略戦争と本質は変わらない。そして、同じく国益のためにイラク民衆の生命と財産をないがしろにする米軍に日本は加担しているのである。他方で、日本政府は国外の日本国籍の人々の安全を保障する責任を負っていることを自ら認めている。しかし、この人質事件は、国籍を問わず、国家とその軍隊が民衆の生命や安全を守ることはありえないことを事実として示した。

* 日本政府による「自己責任」論の背景

政府の警告を無視した被害者たちの無責任な行動が人質事件の原因であるという政府の考え方は、4月12日の記者会見で、外務省の竹内行夫事務次官によって公式に表明された。

竹内事務次官の発言は三つの論点からなる。以下若干の省略があるが、引用しておこう。

ます、最初に、NGO活動への評価に言及する。

「NGOにはNGOとしての非常に大きな役割があるというのが我々の一般的な考えです。もちろん、その活動の内容、対応といったことについては、その地域やその国の状況に応じたものである必要があろうと思います」

ここで、NGOの意義、役割を一方肯定的に評価するのだが、今回の人質事件で被害者となった人たちはこのような肯定的な活動の範疇には入れられていない。(このことは後に発言ではっきりする)その上で、次のように政府の責任に言及する。

「日本政府、特に外務省としては、外国においても邦人の保護に全力を尽す責任があるわけです。従って、外務省の我々の同僚は、命を懸けてというと大げさかもしれませんが、治安情報を収集し、それを我々一緒になって分析し、危険情報ということで国民の皆さんに周知しているわけです。人命は地球より重いということを言われますが、まさに人命を大事にするということで、邦人保護のためにこういった危険情報を発出しているわけです。」

日本政府は「邦人保護」のために努力しその「責任」を果たしていることを強調するくだりである。しかし、後に述べるように、三名の人質事件の解決に日本政府は主要な役割を果たすことができなかった。だから、この日本政府の文言は虚偽に近い誇張が含まれている。

事実、政府の「邦人保護」の責任には限界があるというもう一つの政府の責任論(責任の限定論)がこれに続いて述べられる。以下は「一般的になりますが、これは基本的な話ですが」と断って述べている個所である。

「日本政府、外務省は在外邦人の保護について責任を有しているわけですが、日本の主権の及ばないところではその保護に限界があるというのも当然のことです。そういった国において、本来ならばその国が自らの主権に基づいて在留している外国人の保護について、更には治安について責任を負うというのが国際法上の原則です。そういったことを踏まえて、外国において我々の同胞、邦人の安全について第一義的な権能を有しているのは当該国家であるということから出発する必要があろうと思います。(中略)相手の国が安全について責任を持つということです。(中略)それを踏まえた上で日本政府、特に外務省としては、外国においても邦人の保護に全力を尽す責任があるわけです。」

そして第三の論点として、上記をふまえて、次のように被害者たちの「自己責任」に言及するのである。

「イラクについて言えば、今年に入って退避勧告のスポットを13回出しています。是非これに従って頂きたいというのが我々の立場です。その点は、重要な役割を果たしているNGOについても同様です。もちろん、NGOの役割を我々も重視し、また協力関係もありますが、安全、生命の問題ということになりますと自己責任の原則を自覚して、自らの安全を自らで守ることを改めて考えて頂きたいと思います」

この政府側の主張は、いくつかの重要な点で政府の基本的な安全保障政策と抵触している。911以降、政府は、いわゆる「在外邦人」に対するテロ対策を重点政策に据えてきた。しかし、今回の人質事件では、「在外邦人の保護について責任を有している」とする一方で、とりわけ生命の安全については責任に限界もあると述べて、「安全、生命の問題」では「自己責任の原則を自覚」すべきだ述べてあっさりと「邦人保護」を放棄した。自国民の生命と安全に責任を持たない政府はいったいどのような責任を持つというのだろうか。

他方で、政府は、この記者会見で、NGOの重要性に言及する一方で、NGOが政府の指示に従うべきであること、指示に従わないNGOの生命は保障しないという脅しともいえる発言をしている。ここに政府のイラク戦略の一つの重要な「枠組」が見える。つまり、政府は国外にいる「邦人」を選別したのである。政府
が責任をもって保護する「邦人」とそうではない「邦人」がいるというわけだ。

先にも述べたように、イラク出兵は帝国主義的ともいえる日本の権益に関わる。NGOは政府や民間企業がなしえないイラクの日本にとって好都合な復興のための別動部隊であることが期待されているのだ。そして、逆に、イラクで活動する反戦運動の活動家たちは、むしろ日本の国益を損なう存在だと考えられている。できることなら彼らを排除したいというのが日本政府の本音である。しかし、イラクでの反戦運動は日本の国内法上もイラクの国内法上も違法ではない。合法に市民の権利を行使している者が、その行為が日本政府の方針に反するという理由で、政府の果たすべき安全を保障する義務を放棄することは許されることではない。日本政府は、この国家の責任を追及されることを恐れて、記者会見では、在外邦人の安全については第一義的には相手国政府にその責任があると述べて、責任の多くを回避しようとしたわけだ。

竹内事務次官の記者会見で、政府の責任問題に関する個所には、二つの隠された意図があった。一つは、人質事件についての日本政府の責任を回避し、事件の背景にある自衛隊の出兵を争点化させないということ。もう一つは、回避した責任が真の責任者である米軍と日本政府に向かわないようにすることである。竹内の一般論をイラクの具体的しかし、場所がイラクであったために、この言い逃れは実はできないのだ。

竹内は、この国家の責任の個所だけは「一般的」とか「基本的な話」というように議論を抽象化したが、イラクの状況に即してに言い直せば、イラク在住の日本人の安全に第一義的に責任を持つのは、被害者たちが滞在した先のイラク政府であり、次いで被害者たちの国籍から日本政府である、ということになる。しかし、当時、イラクには「政府」とよべるような統治機構は存在していない。そのかわりに、米軍が治安に関して第一義的に責任を負っていた。したがって、イラクの日本人(を含む外国人全て)の安全に第一義的に責任を負っていたのは米軍、あるいは、当時の暫定統治機構であったことは明らかだ。日本は、連合軍の一員として自衛隊を派兵し、イラク再建のための資金援助国委員会Donor Committeeの議長国でもある。[注1 たとえば、イラク暫定統治機構CPA ウエッブの下記を参照。”Iraq Reconstruction Core Group Meeting”http://www.cpa-iraq.org/transcripts/20040423_core_group.html] 資金的にも軍事的にも日本はれっきとした占領権力の一端を担っていたのだ。事実、ブッシュ大統領は人質事件の直前に行われた全米ラジオ放送で、「イラクを自由な国家として建設することを手助けすることは全世界の義務であり、世界の国々がその責任を負っている。イギリス、ポーランド、日本の軍隊は特にイラクの重要な地域の治安を維持している」と述べ、自衛隊を名指しで治安維持の重要な部隊と指摘していたのだ。[注 2004年3月22日。http://www.cpa-iraq.org/pressreleases/20040323_bush_annivers.html]

要するに、日本政府の理屈に則していえば、イラクの治安に関して、第一義的な責任を負っていたのは米軍であり、同時に、米軍とともに占領軍の一角を占めていた自衛隊もまた、治安維持に一定の責任を負うということになってしまうのである。もし、米軍も日本政府もイラクにおいて治安維持に責任を負わないというのであれば、軍隊を駐留させ、執行権力を掌握する権力の正統性を自ら否定することになる。

日本もその占領権力の一角を占めているとすれば、イラクについては、「在留邦人の保護」の責任問題を一般論でいうように「第一義的に相手国」の責任に帰することは出来ず、米軍と自衛隊にその責任が帰せられなければならないことになろう。自衛隊がいながら、「日本人」の安全を確保できなかったということになれば、自衛隊は在留邦人の安全すら守れない軍隊であるという汚名を着せられることになる。もしこのような方向で日本政府への批判が噴出すれば、自衛隊の出兵や米国の占領統治の正統性そのものが根底から疑われると考えたかもしれない。こうした方向での批判は、人質になった人たちが政府や自衛隊の活動を支援する側の立場の人間たちであったなら必ず登場しただろうと思われる。

今回の場合は逆に人質の三名がともに自衛隊の出兵に反対してイラクで活動していたために、日本政府は自らの責任問題を巧妙に隠蔽したし、保守派も右翼も政府や自衛隊への批判を展開しなかった。

みすからの権力の正統性を保持したまま、この人質事件の責任問題を論じるために残された選択肢は、事件の責任の一切を被害者たちに押し付け、その生命の安全を保障する義務が連合軍にはなことを宣言することだった。この作為的な責任転嫁のために政府は過剰なまでに被害者たちの自己責任を繰り返し追及した。同時に政府は、本来かれらに責任が帰せられるべきイラクの治安維持のための権力行使を意図的にサボタージュしたともいえる。

* テロ対策と強化される同調行動の強制

政府が人質事件の解決に消極的な態度であることはかなり露骨だった。というのも、政府は、911以降、とりわけイラク戦争以降、テロ対策を最重要課題の一つと位置づけて準備してきたからだ。テロ対策特別措置法などの他に以下に述べるような具体的な政策を展開してきた。

2003年8月、警察庁は「緊急治安対策プログラム」を発表する。街頭犯罪から国際的なテロ組織対策まで包括的、網羅的な警察組織の強化がもりこまれ、警察官の1万人増員計画ももりこまれた。

この緊急治安対策プログラムのなかの「テロ対策とカウンターインテリジェンス(諜報事案対策)」の項目では、「近年、国際テロ・NBCテロの脅威が高まり、海外における邦人被害や我が国権益に係るテロ等も発生している」と指摘したうえで、特に北朝鮮対策を重視する姿勢を鮮明にしている。そして、「重大テロ事件」が発生したばあい、「国の責任において迅速、的確に対処すべきであり、海外における邦人に係る国際テロについても、その対処態勢を強化する必要がある」として次のように対策の具体的な項目を列挙している。

「○国の治安責任の明確化等
重大テロ事件に対して、警察庁が都道府県警察を指揮監督することができることを明確化するための検討行う。また、警察庁に危機管理一般に関する事務を行う組織を設ける。
○国際テロ特別機動展開部隊(仮称)の設置等
警察庁に捜査、人質交渉、鑑識、爆発物の分析等の専門家により構成される国際テロ特別機動展開部隊(仮称)を設置し、海外において邦人に対するテロが発生した場合に直ちに同部隊を展開する。また特殊部隊(SAT)の訓練施設及び銃器対策部隊等の特殊銃・車両等の装備資機材を整備する。
○テロ対策に資する法制の研究
我が国の国情、法体系に則し、国民の合意が得られる有効な法制について研究を進める」

2004年4月には、この緊急治安対策プログラムの基本方針に沿った警察法の改正が成立した。警察庁警備局に新たに事実上の対外諜報部門となる「外事情報部」を設置した。この組織は、外国の治安機関との「ハイレベルの折衝、緊密・迅速な情報交換」を行うだけでなく、この組織の中に「国際テロ対策課」を設け、その下に国際テロ特別機動展開部隊を設置したのである。

こうした日本政府のテロ対策の整備がほぼ完成するなかでイラクの人質事件が起きた。先にも述べたように、人質となった人たちは、イラク国内で違法な活動を行っていたわけではないし、日本の国内法に反していたわけでもない。国内法上もまた、国際法上も日本政府は「邦人」を保護する義務を最大限行使する可能性のある出来事であった。だから、本来ならこの人質事件は国際テロ特別機動部隊の格好のデビューの舞台になってもよかったが、そうはならなかった。その理由は二つある。これらのテロ対策が検討された当時、「海外邦人」として政府が念頭においていたのは、日本の企業の関係者や政府、大使館関係者など、あるいは日本政府の意向従って活動するNGOであって、日本政府の政策に反対して活動する人々がイラクにいることなど想定外だった。もう一つは、人質の支援運動や反戦運動は、自衛隊や米軍のイラクにおける治安維持強化を絶対に認めなかったからだ。米軍や自衛隊による武力による人質解放というシナリオを断固として拒否した。むしろ、自衛隊を撤退させ、イラクの占領を即刻中止し、主権をイラクの民衆に返すことを求め続けた。日本政府はこの二つ
の全く異なる理由のために事実上立ち往生せざるをえなかった。

日本が戦時体制に移行するなかで、形骸化の道を突き進んできた日本の民主主義が危篤状態に陥ったことを示した。民主主義である以上、主権者である「国民」のなかに政府とは対立する主張を持ち、行動する人々が存在することは当たり前である。そしてこうした反政府的な「国民」の活動の自由を憲法の範囲内で保障することが民主主義の基本である。日本国憲法は、思想信条の自由や団結権を基本的な権利として認めているのだ。しかし、戦時体制なかで、政府に敵対的な行動をとる人々、とりわけ、武力行使を放棄することだけが平和への唯一の道であると主張して、国家の軍事力を認めない反戦平和運動の勢力を追い詰める政策が次々にとられてきた。民主主義の形式的な手続き利用して、有事法制が次々に制定され、世界で第三の軍事費を持つ日本が世界中に軍隊を送り出すようになった。同時に国内では、反政府的な「国民」を弾圧し、外国籍の人々や移住労働者を監視下に起き、あるいは強制的に国外に退去させ、「日本人」ナショナリズムによる挙国一致の体制を打ち立てようとしている。その最終的な完成が憲法9条改憲ということになる。

国内外にわたって、軍事行動の阻害要因があらかじめ排除され、ODAを国益に従属させるなど、日本だけでなくアジアのNGOや「市民社会」を日本政府のヘゲモニーの下に置く戦略が取られている。本稿の最初に紹介したように、竹内事務次官は、記者会見でNGOの活動の重要性に言及する一方で、このNGOの活動が日本政府の指示に従うものであるべきだということを強調したことはこうしたメッセージを含んでいる。国外の民間資本の投資環境を支える社会インフラの整備(教育、医療、福祉など)を各国のNGO が支える。このNGOを支える資金を先進国政府、多国籍企業、世界銀行などの国際機関が支える。この「市民社会」やNGOをめぐる帝国主義諸国のヘゲモニー争奪戦に日本も参戦しているのだ。シングルイッシュウに集中し、資金を先進国政府や国際機関に依存するNGOにはグローバルな資本主義の構造を批判する立場がとれない。その結果としてNGOが提供する安定的な社会インフラや人的資源の充実は、グローバルな資本主義のための市場と安価な労働市場に統合され、搾取の対象になる。

しかし、現実には、社会的なインフラの部分で、多くの民衆の組織は、グローバルな戦争と資本主義に反対し、こうした支配から自立した運動の担い手になっている。日本政府の「自己責任」論は、政府からも資本からも自立した空間を突き崩し、いわゆる「市民社会」に統合しようという戦略を示しているのだ。言い換えれば、「市民社会」それ自体が重要な政治闘争のアリーナになっているのである。

* おわりに

「国民」という概念それ自体には多くの制約があり、国民国家の領域内で暮す人々を真に代表できる概念ではないのだが、さらにこの「国民」という概念を政府が用いるときには、そのなかに無視できない数の政府に反対する人々が含まれるということが忘れ去られ、国民の政府への忠誠ばかりが強調される。国民のなかの政府に同調しない者たちを「非国民」とみなし、さらに「国民」に含まれない多くの住民たちを差別する。日本における国民概念は、国籍の定義に加えて、「日本人」という民族のアイデンティティ(これじたいが近代国家の創造した虚構だが)と等価であるという考え方が未だに根強い。民族的なナショナリズムに基づく同調的な行動が要求され、これにそむく者たちが排除される。現在の戦時体制のなかで日本政府やマスメディアがとっている態度は、本質的には戦前、戦中のそれと精神性において変わるところがない。

しかし、日本政府の政策に同調すべき「日本人」という日本政府の思い込みが、ある種の妄想にすぎないことを、イラクで反戦運動をになってきた日本人たち、そして日本にいる彼らの家族や多くの反戦運動に立ち上がってきた人々が白日のもとにさらした。国籍では「日本人」であっても、イラクの自衛隊撤退と米国への加担を厳しく糾弾した多くの人々は、むしろ日本人=「国民」というこの国が近代以降持ち続けてきた排外主義と帝国主義のイデオロギー的な根源に巣くってきたナショナルなアイデンティティと切断されたところで自分達のアイデンティティを構築してきたのだ。こうして政府は、国家安全保障や治安維持の文脈で物語の再構築を試みながらも、「日本人」「在留邦人」などの言葉に込めた国益に同調する民族アイデンティティの物語は見事に破綻した。

反戦運動と人質解放の運動は、人質の安全のために自衛隊を撤退させることを要求したことはあっても、イラクの治安強化のためにより一層の軍事力、警察力の強化を国家の責任として要求したことはなかった。むしろ、軍隊や国益こそが民衆の安全の最大の敵であることを繰り返し強調した。

それだけではない。実際に民衆のグローバルなネットワークが人質解放の実質的な力を発揮した。フランスに拠点を置くグローバル・ウォッチ、イラク国外にあって、米軍のイラク侵略にもフセインの独裁にも反対して闘う民主化運動の活動家たち、イラク国内の多くの良心的な活動家たち、そして日本国内の非常に広範な反戦運動に参加してきた個人や団体があるときは緊密に、あるときは緩やかなネットワークを構築しながら、一方で日本政府を厳しく糾弾しつつ、他方で抵抗勢力とのコンタクトと説得を繰り返した。人質事件の最中に連日数千名の市民が国会を包囲し政府に自衛隊の撤退を要求し続けた運動の盛り上がりは、かつてないものだった。人質になっている人たちの安否や解放の可能性についての情報は、こうした民衆のネットワークを通じて与えられた。

この人質事件の教訓は大きい。国家や軍隊は我々を見殺しにすることはあっても救うことはない。逆に国家や軍隊が救出の大義を掲げて武力を行使するような場合には、その何十倍もの多くの罪もない人々が人質救出や「テロリスト掃討」などの名目で虐殺される。(コソボ、パレスチナ、ファルージャとその例には事欠かない) 国家と軍隊が無力さと暴力を相携え、民衆に銃口を向ける残酷さの実体を私たちは肌で感じた。だから、政治学の教科書にあるように、「夜警国家」に還元されるような国家の責任という伝統的な考え方を私たちはもつことはない。国家が軍隊や警察を動員して安全保障の責任を担うということは、自国民に対してであれ相手国民であれ、いかなる民衆の安全も保障しはしないのだ。政府は私たちに「自己責任」を押し付けたが、私たちは政府に、既存の国際法や国際政治に基づく国家としてのこのような意味での責任を押し付けるのではなく、むしろ武力行使や軍事力に基づく国家責任を放棄することを要求してきたのだ。

しかし、他方で、これだけの人質解放と自衛隊撤退要求の高揚を支えたのがやはり人質が「日本人」であったということの問題を私たちは軽視すべきではないだろう。問題は日本人ではなく、むしろ日々殺され続けているイラクの人々をどのように救うかにあるからだ。反戦運動がナショナリズムに解消される危惧に自覚的な人々は多くいた。だから、日本人が救われればいいという方向ではなく、イラクの戦争全体を視野にいれた要求が常に提示された。しかし、それでもなお、反戦運動のなかで私たちは、いくつかの危惧をもった。もし、これが朝鮮半島で起きた事件だったら、これほど高揚するだろうか。イラクの次のターゲットとされかねない北朝鮮をめぐって、日本の反戦運動ははたしてこれほどの高揚を維持できるだろうか。この東アジアで、わたしたちは、イラクに関して生み出すことに成功した国境を越えた民衆の戦争に反対し自力で自らの安全を勝ち取れるようなネットワークを構築できるだろうか。東アジアで、日本や米国(日本に配置されている米軍)の武力行使を放棄させることは可能だろうか。

敵─味方といった国家間の対立関係や、民族、宗教などの対立を越えた民衆相互の連帯を構築することがなによりの民衆の安全と平和を確実なものとする。国家、民族、宗教などに基づくアイデンティティはこうした民衆の連帯を支える共通の価値観とはなりえないだろう。他方で、国家、民族、宗教をこえた共通の民衆の記憶は力強い共通の理解を生み出す。日本の民衆はイラクの民衆に自衛隊の撤退を約束した。日本の民衆は日本という国家の「主権者」でありながら日本政府がとるべきアジアにたいする植民地支配の歴史的な責任をとらせることができていない。これらの約束や共通の理解は、何よりも貴重な信頼を生み出す。私たちは、日本の国家が一方的に強要する「日本人」としての「自己責任」を退けねばならない。むしろ私たちが責任を負っているのは、アジアの民衆との間でなされた歴史的な約束を果たすことなのである。