更なる監視国家を生み出す盗聴法

更なる監視国家を生み出す盗聴法

現在開会中の国会では、ガイドライン、有事体制作りを意図した様々な法案が提出されている。その中には、直接日本の軍事体制に関わる法案もあるが、他方で、総動員体制や治安立法の色彩の強いものもある。盗聴法案も、一般の刑事犯罪を対象としているとしながら、実際には市民を監視する治安立法的な性格を持っている。

国会に提出されている盗聴法案は、それまでほとんど認められていなかった捜査当局の盗聴捜査を全面的に法認しようというものだ。しかし、実際には今までも盗聴は、公安警察を中心に非合法に幅広く行われていることはよく知られている。共産党の緒方元国際部長宅を長期にわたって盗聴していた事件はその氷山の一角である。

それでは、今なぜ盗聴捜査をあえて合法化しようという動きが出てきたのだろうか。それにはいくつかの理由がある。盗聴の合法化がはじめて公になったのは、1996年8月に法務大臣が法制審議会に「組織的な犯罪に対処するための刑事法の整備に関し、整備要綱の骨子を示すことを求める諮問」をした際に、盗聴捜査の合法化が盛り込まれたことによる。一年近くに及んだ法制審とその後の政府の与党協議会(当時は自民、社民、さきがけの連立政権)を通して、政府、法務省は、組織犯罪の増加とか、オウム真理教のテロなどの凶悪犯罪、麻薬や銃器の取締りにとって盗聴捜査は不可欠であると主張する一方で、G7やサミットなどの国際会議の席上で国際的な組織犯罪に対処するために国内法を整備することが求められているといった内外の事情を立法の理由に挙げていた。

盗聴捜査の合法化として法務省が挙げる理由は一見もっともなように見える。しかし、実はいくつもおかしな点があるのだ。盗聴捜査はそもそも原則的に憲法が禁じている通信の秘密を侵害する行為だが、憲法の原則を曲げなければならないということについては、全くといっていいほど無関心であり、盗聴の合法化は例外として行うことであるから、違憲ではないという。他方で、盗聴捜査をいま導入しなければならない深刻な一般的な刑事事件の増加や重大事件の検挙率の低下があるわけでもない。オウムのようなテロ事件を引き合いに出すのだが、オウムの事件でもし盗聴捜査が行われていたら(実際には行われていたとも言われているが)、地下鉄サリン事件が未然に防げたといった主張がなされているわけでもない。(盗聴、内偵捜査をしていても防げなかった、あるいは防がなかった、ということなのかもしれない)つまり、今ひとつ、なぜこの時期に盗聴捜査の合法化がそれほど必要なのか、説得力のある説明がないのだ。

また、警察の好き勝手な盗聴を許すことへの不安が一般の市民にあることも事実であり、この点は法務省も十分承知していて、国会での質疑でも、この点については、いろいろ釈明している。たとえば、対象犯罪が限定されていること、裁判所の許可が必要なこと、犯罪関連通信以外は盗聴できないこと、立会人がいること、盗聴された本人に事後通知がいくこと、国会に事後の報告があること、異議申し立てができることなどを強調して、幾重にも捜査には制限が加えられているという印象を与えようとしている。

しかし、法案には巧妙に抜け道が用意されており、事実上は無制限に最長1ヶ月(更に延長可能)の盗聴が広範囲にわたって行える。たとえば、盗聴によって得られた会話などを裁判の証拠にするつもりがなければ、いくらでも盗聴できるようになっていたり、居場所がわからない当事者への通知はしなくてよいととか、立ち会いも常時必要ではない、令状に記載のないいわゆる別件盗聴できるなど、例外規定がかならずついている。しかも従来から指摘されているように、裁判所による警察の令状請求が不許可になるケースはきわめて稀なので、裁判所のチェックはまずあてにならない。元旭川地裁の寺西判事補が、盗聴法案に関連して、こうした裁判所の令状発付への危惧を集会などで表明したために、裁判官の言動として好ましくないとして処分されて問題になったケースはご存じのことと思う。
盗聴捜査が、いかに危険で歯止めのないものかということは、すでに盗聴捜査が行われている諸外国における捜査当局の人権侵害によって明らかである。盗聴法に反対する国会議員、市民らの招待で3月下旬に来日した米国の自由人権協会の副理事長のスタイン・ハードさんは、米国では、公式の報告ですら警察の盗聴の8割が犯罪とは無関係な通信に対して行われ、さらにコンピュータ通信の発達でこうした警察の盗聴、監視が大幅に強化されようとしていることを説明し、盗聴捜査の合法化は絶対に認めるべきでないことを、米国の経験をふまえて力説した。

今回の盗聴法案の狙いは、電話の音声会話だけでなくコンピュータを用いた文字、画像など多様なデータ通信を一挙に大量に盗聴できる大規模な体制をとることを狙っている。公然と国家予算と人員を利用して、大規模な監視体制をしこうというものだ。こうした狙いは法案そのものには出てこない。しかし、いまなぜ、あえて盗聴捜査が必要なのかは、現政権が画策しているさまざまな治安立法などの傾向とともに考えあわせてみれば、その意図は明白であり、絶対にその成立を許してはならないのである。

(模索舎ニュース 1997)