密室をこじ開けたウィキリークス

密室をこじ開けたウィキリークス

ウィキリークスが、昨年(2010年)11月28日に25万件あまりの米国の非公開外交文書を公表し、マスメディアが後追い的にこれらの文書について報道しはじめたことをきっかけに米国政府のウィキリークスへの押さえ込みも露骨になってきた。しかし、ウィキリークスへの干渉・弾圧は以前からあった。(注1)

ウィキリークスは2006年に設置され、以後、多くの政府の内部文書を公開してきたために、米国その他の政府から干渉や弾圧を被ってきた。2009年ドイツでは、ウィキリークスのドメイン登録業者が家宅捜索を受け、オーストラリアでは、フィルタリングのブラックリストに掲載された。中国も2007年以降、ウィキリークスのURLへのアクセスを遮断している。(多数の迂回路があり、これは有効には機能していない)2010年の4月には一時期フェースブックのウィキリークス・ファンサイトが削除される(その後復活)。このように、昨年末のウィキリークスへの大規模な弾圧の下地は、それ以前からあった。

 昨年1月28日に米国の外交文書を大量に公表した直後から、米国政府はなりふり構わず抑え込みに入ったように見える。ウィキリークスのサイトへのユーザのアクセスをブロックするへのDDOS攻撃と呼ばれる攻撃が続き、サーバのダウンを余儀なくされた。こうした攻撃に対抗してウィキリークスは、12月1日に、それまでのサーバからネット通販大手のアマゾンにサーバを移して公開を継続したが、アマゾンは米国政府からの圧力に屈して、規約違反を口実にウィキリークスへのサーバ提供を中止した。ジャパン・ビジネス・プレスがウォールストリートジャーナルの報道として伝えるところでは、アマゾンに対する圧力は、米上院国土安全保障・政府活動委員会のジョー・リーバーマン委員長によるもののようだ。(注2)さらに、翌日には、wikileaks.orgのドメインの登録申請窓口会社(レジストラ)の米国の会社、EveryDNS.netがドメインを停止し、このドメインが使えなくなった。さらに、クレジットカード会社のマスターカード、ビザ、ネット送金のペイパルが次々にウィキリークスとの取引きを中止し、送金を阻止した。米国政府自身も政府関係者や軍関係者がウィキリークスの文書にアクセスすることを禁じ、連邦議会図書館からもウィキリークスへのアクセスがブロックされているという。

そして、昨年12月7日には、スエーデン当局が性犯罪の容疑で、ウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジに逮捕状を発付し、国際刑事警察機構を通じて国際手配され、イギリスで身柄が拘束された。アサンジの身柄は米国も要求しているが、現在イギリスで、身柄をスエーデンに移送するかどうかをめぐって裁判となっている。今後彼の身柄がどうなるか不確定だが、性犯罪容疑は別件逮捕であることは間違いなく、各国政府が関心を持っているのはウィキリークスの背景やその支援の実態にあることは明らかだ。各国の捜査機関がこうした形で連携をとる体制は、対テロ戦争のなかで急速に整備されており、今回の国際的な連携は、公然とは語られてはいないが、「サイバーテロ」への対抗の枠組が実質的に機能している側面があるのではなかと思う。

これに対して、ウィキリークスとその支援者たちは、ドメインをwikileaks.chに変更してスイスに移し、サーバの維持とネットワークへのアクセスを確保した。現在では世界中にミラーサイトが設置されており、ウィキリークスが公表した文書へのアクセス環境は逆に強化されさえしている。ビザなど、ウィキリークスとの取引きを中止した企業に対して、ネット上の抗議行動も一時期活発になった。また、表現の自由やインターネットにおけるコミュニケーションの権利運動に関わる団体がウィキリークスを支持する声明などを出しており、ZDネットが行ったアンケート調査でも、ネットユーザの大方の評価としては、公開を支持する声が圧倒的に大きい。しかし、興味深いのは、このZDネットの調査でも米国内の世論だけは公開反対が他国より多く、賛否が拮抗している。(注3)

ウィキリークスをめぐる攻防は今年には入っても続いており、スイスの裁判所が1月19日、スイスの金融機関ジュリアス・ベアの元幹部、ルドルフ・エルマー氏がウィキリークスに顧客情報を提供した容疑で逮捕された。エルマーは英領マケイン諸島の元責任者で、オフショア取引に関わる約2000の口座情報のデータをウィキリークスに提供した。アサンジは、記者会見で「(逮捕されたルドルフ・)エルマー氏はスイスの金融機関が中心的役割を担っている脱税システムを暴露して拘束されている。当局はこのオフショア構造の捜査で脱税者を追及する代わりに、エルマー氏を追及している」(注4)と逮捕を批判した。

ウィキリークスが公表した外交文書は膨大なものだ。日本政府関連の外交文書は相対的に少ないようだが、それでも捕鯨、武器輸出、東アジア・朝鮮半島情勢などいくつか興味深い文書が公表されている。(注5)これからも日本や東アジア関連の外交文書が公表され続けるだろうが、そうなれば、あまり表立った行動をとっていない日本政府も何らかの対応に乗り出す可能性もあるだろう。
 ウィキリークスは、民主主義的な国家においても外交が、一般の市民の目から隠された秘密の部分を国家安全保障の名目で当然のこととし、知る権利や情報公開、あるいは報道の自由の埒外に置くことを当然のこととしてきた現実に対して、組織的な運動として、「ノー」をつきつけ、外交上の秘密によって外交が左右されるのではなく、国家安全保障に関わるものであればこそ、むしろ「透明性」を高めることによって、政府や官僚による権力の専横を阻止することが、国際関係における政治的軍事的な緊張を軽減することにつながるという強い問題意識をもってきたと思う。国際政治のあり方を根底から問い直す重要なきっかけを与えたという点で、公開された情報の政治的な「価値」がいかなるものであれ、それが非公開あるいは機密文書として分類されること自体がもたらす権力を支える構造に楔を打ち込むことになった。だからこそ、米国政府はやっきになってウィキリークスを抑え込もうとして、米国の民間企業にも大きな圧力をかけてきたのだろう。

ウィキリークスへの抑圧が、今後どのような結末を迎えるかは今の段階では明言できないが、私たちは今回の「事件」からいくつかの重要な教訓をまなばなければならない。第一に、インターネットは「自由な空間」ではさらさらない、ということである。ネットにアクセスする上で不可欠なドメインを遮断することや、サーバなどの利用も拒否されるということが、政府の直接の圧力ではなくて、「自由世界」の民間企業によって実行されうるということだ。ウィキリークスに起きたことは、誰に対しても起きうることだということである。第二に、中国のような古典的でわかりやすいネット検閲や弾圧だけが、言論・表現の自由を脅かす存在ではなく、民間資本を動員し、さらに国境を越えた国家と資本の暗黙の連携による排除というやり方が具体的に発動されたこと。今回は、それがまだ過渡的なものであり、組織的な排除は十分に機能ししていないが、将来的には、インターネットがら完全に排除するような何らかの「仕掛け」を政府や資本は抗争するに違いない、ということだ。ウィキリークスの排除に失敗すればするほど、失敗しない方法(技術)を、「自由と民主主義」の建前と抵触しない条件で実施しうる可能性がますます政府やセキュリティ産業によって追求され、逆に私たちのプライバシーの権利や知る権利、表現の自由や報道の自由の権利が切り縮められていくのではないか。第三に、内部からの情報の通報を阻止するために、より厳しい法的な対応と技術的な内部監視が強化されるだろうということ。そして、こうした内部監視のための技術開発に情報通信産業は新たなビジネスチャンスを見出すだろうから、情報通信産業はますます監視・セキュリティ産業と不可分のものとして「成長」を続けることになるだろう。同時に、こうした産業が、携帯から家電製品に至る消費生活に深く浸透しているコミュニケーション環境のインフラ提供資本でもあることによって、私たちの日常生活がますます監視下に置かれやすくなるだろう。

他方で、別の教訓も私たちは軽視してはならないだろう。それは、ウィキリークスが多くの既存メディアのジャーナリストなどにも支えられて、組織的な運動として展開されてきたということだ。個人の孤立した行動ではない、という点はネットワークの運動が知る権利の運動と連動するあり方としても重要なことだ。これまでの個人の英雄的な闘いとしての内部告発や、情報公開法などを用いて裁判闘争も含めた合法的な公開運動とこの点が決定的に異なる。そして、弾圧が強められた後にも、ウィキリークスへの世界規模での支援が一方的な政府の弾圧を許さず、事実上それを無力化することに一応成功しているということも重要だ。そして、政府がコントロールしやすい商業マスメディアがこれまで独占してきたといってもいい政府情報の報道の回路に対して、もはやマスメディアを通じた情報管理体制が大きく揺らいだ、ということだ。一般の人々がアクセスしやすい情報環境においてマスメディアが独占してきた優位が明らかに揺らぎ、マスメディア自体がウィキリークスの公開した情報を後追いで報道せざるを得ないところまで後退した。そして、右に書いたように、外交においては公式に語られていることとは異なる裏取引が常態となっており、このことが権力を支える基盤にもなっているということ。民主主義国家はその民主主義の仮面の下に腐敗した権力の顔を隠していることを、ウィキリークスは明かにした。外交機密は権力の自己維持の手段になっているだけで、人々の安全や平和とは何の関わりもない、という根本的な疑問を多くの人々が抱くようになったのは、西欧民主主義を普遍的な理念とすることに、改めて根本的な疑義を提起することになったと思う。

本稿を書いている最中に、中東のテレビ局、アルジャジーラが2008年のパレスチナ自治政府がイスラエルの交渉で、東エルサレムの入植地で大幅な譲歩を提案していていることを示す内部文書を公開したことが報じられた。これはウィキリークスが実践してきた動きと直接関わるとはいえないにしても、決して無関係ではないと思う。メディアと権力をめぐる環境が徐々に地殻変動を起こし始めているのではないかと思う。

最後に悲観的なことにも触れなければならない。今国会で、民主党政権は、コンピュータのデータに対する捜査機関の捜査権限を大幅に拡大する法案(私たちはコンピュータ監視法案と呼んでいる)を提出する予定だ。表向きは、コンピュータウイルスの作成を犯罪化することを意図したものだが、コンピュータウイルス作成に限らず携帯を含むコンピュータを用いたあらゆる犯罪にたいして、これまで以上に容易にコンピュータデータへの捜査機関によるアクセスを可能にする内容が盛り込まれた法案だ。もともとは共謀罪法案と抱き合わせで上程されていたものを、共謀罪を切り離して上程しようとするものだ。ウィキリークスだけでなく、昨年続いた政府情報のネット流出という事件を背景にして、国会での議論もウイルス作成に限定されない法案の立法事実をめぐる議論が展開される恐れもあり、情報漏洩を監視する手段として利用されるように変質させられる危険性も含んでいる。ウィキリークスの「快挙」に喝采する以前に、この国にウィキリークスのような情報運動が脆弱である一方で、政府の情報統制への動きがより活発であるという現実に、むしろ危機感を持たなければならない。

注1 ウィキリークスの英語版wikipedia参照。http://en.wikipedia.org/wiki/WikiLeaks
注2 小久保重信「アマゾン、米政府の圧力に屈したか?」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4997
注3 「WikiLeaks事件をどう考えるか–世界の読者に一斉調査」http://japan.zdnet.com/news/internet/story/0,2000056185,20424366,00.htm
注4 1月23日、ロイター、ネット版、http://jp.reuters.com/article/jpWikileaks/idJPJAPAN-19155820110124
注5 ウォールストリート日本版のサイトで一部日本語訳が提供されている。http://jp.wsj.com/