新たな監視システム構築へ向けた布石

昨(一九九六)年秋に法務省は捜査当局による盗聴を合法化することを法制審議会に諮問した。

オウム真理教への破防法適用に挫折した国が、より簡便に破防法同様の効果をあげられる新立法として組織的犯罪対策法を企図したことが当時の事務局からの説明からもはっきりと示されている・ここでいう捜査当局による「盗聴」には、通常の電話の他に、携帯電話やインターネットなどのコンピュータ通信など無線以外のすべての通信が含まれている。

●盗聴捜査の合法化

盗聴はいままでも、捜査当局が必要とあれば行えたのではないかと思っている人がけつこう多い。例えば、誘拐事件での電話の傍受などがそうだが、これは電話の一方の受け手である被害者の同意を得て行われるのであって、当事者に知られずに行う「盗聴」とは違う。今回の法改正は、当事者に知られずに捜査当局が通信の傍受を行えるようにしようというわけだ。

盗聴の合法化があらためて議論になるのは、日本の法体系では、通信と放送は明確に区別され、電話や電話回線、通信回線を利用するパソコン通信、インターネットなどの通信にたいして厳格な秘密の厳守が義務づけられていることに関係する。通信に関しては電気通信事業法がその基本を定めているが、その第三条では「通信は、検閲してはならない」とあり、第四条では「通信の秘密は、これを侵してはならない」と明記されている。だから、NTTなどの通信事業者が捜査当局に盗聴の便宜をはかることは、原則的には違法なのだ。捜査当局の盗聴を可能にするためには、通信事業者が技術的に協力することを合法化できる法律上の整備が必要だということになる。

●誰もが対象に

今回の盗聴法案の審議のきっかけとなったのがオウム真理教のような組織犯罪だというのが法務省の言い分だが、オウム真理教はその宗教教団としての出発点から犯罪を意図した集団ではなかった・盗聴法案では将来の犯罪に対する盗聴を認めているから、今現在は犯罪集団ではないとしても将来的にはそうなる可能性があると当局が認定した組織や個人にたいしても幅広く盗聴による情報収集が行われうる。そうなれば、誰もがこの盗聴の対象になりうるのだ。

また、先進国首脳会議と平行して開催されている先進国の法務大臣や警察のトップなどによるテロ対策のサミットで、日本はオウム事件について詳細な報告を行っている。このサミットでは、犯罪に関わるかどうかと無関係に幅広く通信を監視する「電子的監視」の導入を勧告しており、今回の法案もこうした国際的な流れと連動している。

インターネットについては、この盗聴の問題はよりやっかいな問題と結び付く可能性がある。警察庁は九七年四月に出した報告書「情報システムの安全対策に関する中間報告書」でおおよそ次のような危倶を表明していた。コンピュータ通信は、デジタル・データだから、相手になりすますことが簡単だし、匿名性や痕跡を残さないコミュニケーションもアナログのそれにくらべて格段に容易だということ。パスワードの盗用など非物理的な方法でデータへの侵入や他人へのなりすましも可能で、電子メールを管理するコンピュータ(サーバ)に侵入できれば、大量のデータにアクセスしたりデータの改竄もできる。だから、犯罪捜査が非常に困難だというわけだ。

他方ネットワークのユーザーにとっては、サイバースペースでの匿名性や無痕跡性は、主体の複数化を容易にするというメリットがある。現実の世界での固有名や性別、年齢、居住地に束縛されることなく、さまざまな「自分」を生み出すことが可能だからだ。その反面、コミュニケーションの相手の認証や、たとえ第三者がデータにアクセスできても、内容までは盗めないという方法がプライバシー保護のためにも必要になってくる。事実、軍事技術とみなされてきた暗号がインターネットの個人ユーザーも含めて利用され始めている。捜査当局の盗聴が合法化されたとしても、個人の暗号によるデータのやりとりを認めてしまうと、盗聴する意味がなくなってしまう。先の警察庁の報告書でも、オウム真理教がデータを暗号化していたために、捜査のために解読作業が必要だったと述べている。

●暗号の国家管理化へ

インターネットの個々のユーザーには暗号によるプライバシーを保障しながら、なおかつ捜査当局も暗号解読の手間を省く方法がないわけではない・それは、暗号解読のマスタキーのようなものをあらかじめ暗号に組み込み、このマスターキーを国家が管理するという方法だ。既に捜査当局の盗聴が合法化されている合衆国ではクリッパー・チップとよばれるマスターキーを組み込んだ暗号方式が政府によって提唱されている。言うまでもなくこの方式の致命的な欠陥は、個人のプライバシーが政府に対しては丸裸になるという点だ。犯罪捜査のためには個人のプライバシーを国家が自由に監視できるのは当然だという考え方がクリッパー・チップの発想にはあり、大きな反対運動が起きている。盗聴法案が成立すれば、日本でも同様の暗号の国家管理が日程に上ることは間違いない。

●不快な時代

権力による盗聴というのは、コミュニケーションが権力の構造と深く結びついていることを改めて実感させる出来事だ。コミュニケーションは人から人へと伝達されるものであり、その基本は人の移動にある。たとえば、道路の規制が運輸省の管轄であるだけでなく、警察による重要な管理対象であるように、人の移動が監視対象になるのは、それがコミュニケーションを伴うからだ。自動車の免許制は、輸送機械の運転能力を証明するというよりも、本人の認証の手段であるといったほうが正しい・免許証というのは、ある種の移動のパスポートであって、国外にいるときに携帯するパスポートと何らかわるものではない9監獄が、人を孤立させ、遮蔽された空間に拘束し、コミュニケーションを監視するシステムであるのは、コミュニケーションと移動という事象に対する権力の振る舞いをよく表している。

コンピュータ通信の発達は、人々が物理的な空間を移動しておこなうコミュニケーションにくらべて、デジタル化されたデータの移動によるコミュニケーションの機能を大幅に向上させた。モダニズムが想定した物理的な身体を基点とした単数の主体が消失しつつある反面、複数の主体を使い分け、匿名でのコミュニケーションが容易になることによって、主体はネットワーク上に分散した複数の主体、ある種のマトリクスへと変容した。

捜査当局による盗聴は、こうした複数化し分散した主体に対応した監視のシステムなのだ。権力はますます柔軟になり、日常生活の裳に、コミュニケーションの細部につきまとうようになる・サイバースペースでも覆面パトカーや公安警察の不気味さを常に意識しなければならない不快な時代を迎えるかどうかの瀬戸際に今、私たちは立たされている。

(現代人文社編集部編『盗聴法がやってくる』現代人文社ブックレット、1997年)