グラムシの意義と限界

私よりも上の世代でグラムシに関心を持った多くの人々は、スターリン批判以降のマルクス主義の再検討や構造改革論の流れに影響されながらグラムシに接近したということが多かったのではないかと思いますが、私の場合は全く異った関心によるものでした。それは七○年代の、とりわけイタリア共産党の歴史的妥協をめぐる諸問題や、或いはユーロコミュニズムやイタリア共産党に対して批判的な議会外左翼勢力による極めて重大な運動がイタリアの中で——いわゆるアゥトノミァと称された運動として展開されていくわけですが——あり、これらの運動がむしろ批判の対象としてきたグラムシを自分なりに読まなければならないということ、これがひとつ。もうひとつは、グラムシが日本の伝統的なマルクス経済学のなかでは全く無視されてきたことがあり、私なりの「マルクス経済学」への総括作業のなかで、経済学の無視してきたマルクス主義者に再度光を当てたいということ、この二つが僕自身の最初のグラムシに関わるキッカケでした。

既に『現代の理論』にも書いたことなのですが、グラムシを読む際の自分なりのモチーフは 改革の主体についての彼の洞察、何をどういう風に誰が変えていくのか——言ってみれば革命というのは一体、誰が何のためにやるのかという、当り前のようでいて決して解決済みとはいえない難問題——その問題を、グラムシが公式のマルクス主義の教義に拘束されずに考えて来たということ、しかも彼の状況認識の枠組みはある種のユニークな性格を強くもっているということを、現代の日本の分析と変革にどのように生かしうるか、というところにあります。

例えばグラムシが工場評議会の運動の中で見て来た世界というものは、今で言えば非常にハイテクな世界だと思う。それはレーニンのロシア資本主義観にも言えることで、レーニンのエ場労働者への着目も極めてハイテクな部面への着目であり、そこにこそ変革の主体を見い出す。この洞察力というのは、決してなまやさしいものではないものです。マルクスにしても、同じことがいえます。彼らの判断の中には今からふり返れば当然誤りもあったといえる点もありますが、彼らが試行錯誤してきた変革の主体を発見するという努力というものをいつの間にか僕らは忘れて来たのではないかと思います。私たちは、現代の日本のいわゆる「ハイテク」な社会が生み出してきた多様なプロレタリアート群の実像を把みきれておらず、未だに旧態依然的「工場労働者」の「イメージ」にしがみついている面があります。マルクス以降、さまざまに誰が変革の主体になり得るのか、どうい意味で彼らが変革の主体なのかということを言理論的、思想的に跡づけようとして来た努力はあるものの、その努力も”マルクスが——あるいはレーニンが——こう言っていたので、これこれしかじかの人達が革命の主体になるはずだ”と言って彼らにオンブにダッコで用を済ませて来たようなところがあったのではないか、ということを感じるわけです。グラムシはこの点で多くのマルクス主義者と異って、状況を自前の判断で見たユニークな思想家であり、かつ活動家であったといえます。

そういう意味でもう一度グラムシを読むということは、グラムシの方法というか、グラムシが読もうとしたことをもう一度僕らなりに、例えば日本の状況の中に置き換えて考えるということをしなければならないだろうと考えるわけです。

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とはいえ、グラムシを金科玉条とする態度はとるべきでないことは言うまでもなく、グラムシの意義と限界を私なりに確定しておかねばなりません。その時に、——これはグラムシのひとつの限界だと思うのですが——グラムシが工場評議会の運動を通じて、そして『獄中ノート』の中で、「全体性」ということを言っている点に注目してみたいと思います。

マーチン・ジェイの近著『マルクス主義と全体性』という書物の中でも指摘されていますが、マルクス主義はある種のトータルな社会認識の方法であり、その全体性としての体系性故に、社会の変革を部分的な改良としてではなく社会の全領域に及ぶ人類の一大事業として位置づけてきたわけです。マルクス主義が「全体性」を説く場合、「全体性」としての社会認識と社会変革を保証する主体が必要となります。ここにマルクス主義が政治のイデオロギーとして現実的な力を発揮してきた根拠もあるし、逆にここに、「全体性」を獲得しうる唯一の主体であるプロレタリアートとその党による超越的な「現代の君主」としての側面をも胚胎されることになります。「全体性」について、グラムシは『獄中ノート』のなかで次のように述べています。

 「現代の君主、神話-君主は、現実の人格、具体的な個人ではありえない。それでありうるのは一つの組織体だけである。すなわち、認められ、部分的には動きをみせている集団的意志の具体化がすでに始まっている社会の複雑な一要素だけである。この組織体は歴史的発展によって生じている。それは政党であり、普遍的・全体的であろうとする集団的意志の胚種が集まっている最初の細胞である。」
「すでに述べたように、現代においては新しい君主の主役となることができるのは、個人的英雄ではなく政党である。すなわち、それぞれのときに、いろいろの国民のいろいろの内的諸関係のなかで、新しい型の国家を創設しようと意図する(そして、この目的で合理的に、また歴史的に創設される)特定の党である。
 全体的と自称する制度のなかでは、王政の伝統的な機能は、事実上、ある特定の党、この機能をはたすからこそ全体的でもある党がひきうけていることを認めるべきである。どんな党も、一つの社会集団の、しかもただ一つの社会集団の表現であるとはいえ、ある一定の条件のもとでは、特定のいくつかの党がただ一つの社会集団を代表することがある。それは、これらの党が、自己の集団の利益と、ほかの諾集団の利益との均衡と調停の機能をはたし——決定的に敵対する諸集団ではそうはいかないが——同盟した諸集団の同意と助力をえて 自己の代表する社会集団の発展をはかる限りにおいてである」(石堂清倫訳)

全体的であると自認するものが、自らと並ぶ位置に他者を置くことはそれ自体が矛盾です。この矛盾は、党派闘争や粛清、あるいは統一戦線や階級同盟などの様々な姿をとり、精神的、肉体的な暴力を伴ってプロレタリアート内部の自壊を招くことも決してマレではないことを私たちはよく知っています。この深刻な問題は、単なる組織問題ではなく「普遍的・全体的であろうとする」傾向性のなかにひそんでいるといえます。グラムシは、全体性としての党を否定しませんでしたが、しかし現実の状況が示している「特定のいくつかの党がただ一つの社会集団を代表する」事態を強引に否定することをせず、「均衡と調停」を求めたのですが、だからといって彼のいう全体性としての党への志向性がおしとどめられたという訳でもありません。グラムシはここで現実的となることによって思考停止したのです。

しかし私たちはもっと先へ進まねばなりません。そのためには、この全体性の神話を堀り崩すことです。この作業は二つの危険を伴っています。ひとつは、このことを通じて、別の「全体性」を持ち出すことになるかもしれないということであり、もうひとつは相対主義に陥り、自らのうちたてた理論や方法に対して無責任になるかもしれないということです。この二つの危険を避けるための納得いく答えを私は持ってはいません。しかし、とどまるよりはこの危険を冒すことの方がマシなことであり、何よりも様々に論議され、実践されるなかで繰り返し創造的に壊されること——それこそを「脱構築」というべきです——以外に道はないと思うのです。

そこでグラムシの見ていた全体性というのが果たして本当に全体性と言えるものなのかどうか、とまず問うことからはじめてみようと思います。グラムシの見ていた全体性は、資本主義を何よりも経済主義的に見て来たいわゆるカッコつきのマルクス主義の言う全体的な資本主義観とは当然に違い、それを越えるところでの全体性というものがあるわけですが、そうはいってもやはりグラムシの中には工場労働者を軸にした世界というものが確固としてあり、それはハイテクな世界への着目という興味ある事実として十分評価されるべきだとはいえ、その枠を越えることはできなかったといえます。それは、時代の限界であって、そのことの責任をグラムシに負わせることはできませんが、私たちがグラムシを評価する際に、この「労働者主義」の限界が重要な問題としてあるだろうと思います。

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もうひとつグラムシと現代を結ぶという意味で抜かすことのできないこととして——『獄中ノート』と工場評議会をつなぐ線という具合にも考えられますが——工場評議会運動の中で運動の主体どして現われて来た社会的に生産的な労働者たちが、同時にイタリアファシズムの担い手になっていったという問題です。これは歴史的にみて非常にドラスティックな変貌の過程でした。そのことをグラムシは『獄中ノート』を通じて、どういう風に考えたらよいのかを非常に真剣に考えています。グラムシが文化であるとか「構造」、つまりマルクスのいう上部構造、或いはヘゲモニーといった特異な概念を用いて解き明かそうとしたことの背景にはこうした労働者階級の階級的「転向」問題がある。その問題が同時に私の世代でいえば大体六○年代から七○年代初めの時代から七○年代以降八○年代へと変っていく中で出て来た保守化状況と大いに重なります。グラムシが「獄中」で取り組んだ問題意識は、日本の中での或る種の大量転向現象を考えていく上で重要な手がかりを与えてくれるのではないか、と思います。

とりわけグラムシが「政治」を捉える際に、それを単なる制度や組織、あるいは実定法的な枠組みによって捉えることを極力しりぞけ、むしろ人間の意識や慣習、生活様式を共通項としてくくっていく枠組みの装置として捉え返している点は今日的な意義をもつものといえます。このことは、グラムシが政治の文化との関わりについて、マスメディアが政治的な諸党派からある種、相対的に自立した位置をとりつつもしかし、「有機的な党の知的参謀本部」であり、また「党分派」「特定の党の機能」とみることができ、イギリスの『タイムズ』、イタリアの『コルリエーレ・デラ・セラ』こから「〈非政治的〉と自称するいわゆる〈情報紙〉の機能、さらにはスポーツ紙や技術新聞の機能まで」(『獄中ノート』)をこうしたカテゴリーで捉えることが可能だとしているなかに示されています。そして更に彼は次のように述べています。

「なお、この現象は、単一の全体的政府党が存在している諸国では、興味ある諸側面を呈している。というのは、このような党がもはや純粋に政治的な機能はもたず、宣伝、警察 道徳的、文化的影響という技術的な機能をもつだけだからである。政治的機能は間接的になる。たとえ、ほかに合法的な党が存在しないとしても、いつでもほかの事実上の諸党と法的に強制できない諸傾向とが存在する。それらに論争や闘争をしかけても、目かくし遊びの鬼の手さぐりみたいなものである。いずれにしても、こうした党内では、確かに文化的な機能が上廻っており、政治用語を穏語化している。政治問題が文化的衣裳をまとい、そのようなものとしては解けなくなる」(前掲書)

政治が政治として露出することをやめ、その分、政治はあらゆる領域に拡散し、したがって、非政治的なものの政治性を見抜くことがなければ、政治そのものを捉えることができないというここでの指摘は非常に重要なものです。言いかえればマスメディアをはじめとするさまざまな知的文化的装置が国家のヘゲモニー装置として機能するというとらえ方をしているわけであって、当時に比べてより情報化、ソフト化、或いはサービス化が進展し、文化産業の比重が高まり、国家のイデオロギー操作の手法が高度化している現代において、このグラムシの捉え方は重要な問題提起になっている。

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実は以上の問題は、別の側面からいえば、「全体性」を組み立ててきたマルクス主義のカテゴリーそのものを、再度組み換える必要のあることを示唆しているといえます。とくに最近私が考えているのは、「階級」「労働」「生産」といったカテゴリーを、マルクスの『資本論』の枠組を相対化して捉え返すことです。端的に言ってしまえば、カテゴリーの革新をめぐる問題というのは——人間の解放や階級闘争と深く関わっており.カテゴリーをめぐる政治闘争と言い換えうるものなのです。そして現実には、カテゴリーをめぐる資本主義との権力闘争にマルクス主義が敗北して来たこと、このことが逆にマルクス主義の教条化と退化、ブルジョワ的な学的体制/体系の強化をもたらしたのだと思う。

カテゴリーというのは或る意味では言語ゲームでもあるわけです。言語ゲームとしてみた場合、支配的な制度の側、或いは支配的なイデオロギー装置の側はこのゲームのルールを設定できる決定力を持っているといえます。社会的な常識、通念、道徳などから、世界についてのイメージまで 日常生活の基本的なふるまいやまなざしをあたかも「自然」なもののようにして産出する「力」——力と感じられない「力」——が、この決定力であるといってもよいでしょう。実はこれに対してマルクス主義の知識人、或いはグラムシ流に言えば有機的知識人が担わなければならないのは、そうしたカテゴリーをめぐる権力闘争の中でつくられて来たゲームのルールというものを、それが成り立つ盤面ごとくつがえすことであったハズなのです。支配的なイデオロギー装置の了解不能なカテゴリーを産出するということです。グラムシも『獄中ノート』のなかで、「社会的諸関係の体系のなかで、〈形而上学〉にではなく歴史的に理解された<技術><労働><階級>などの要素をどのように区別することができるか」と自問しています。「歴史的に理解された」という限定は、これらの諸「要素」が普遍的な定義によってその内容を固定化しうるものではないこと、更に歴史的にこれらのカテゴリーを見直すなかで、カテゴリーの”脱構築”を図ることの必要性を示唆しているともいえます。

そういう意味で、私たちが生きている今の時代の中で、マルクス主義が繰りかえし使って来た概念やカテゴリーの体系というものを歴史的に読み替えていく必要があるだろうと思うわけです。それはグラムシ自身の実践で言えばテクノロジーに関してフォードシステムに対する把え方というものも、労務管理の教科書とは違って、〈労働力〉の再生産過程をも組み込んだテクノロジーとしてユニークな把え方をしているというところに示されています。(この点については拙著『支配の「経済学」』れんが書房新社で述べました)階級にしても資本家と労働者という二階級モデルに純化した資本主義論を彼は認めることはできなかった。現実的、実践的な戦略の上からもそれを認めては資本主義の、或いは南部の農村地帯をかかえたイタリアにおける革命を考えることはできないところにグラムシはいました。

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そういうことで言えば、今現在のテクノロジーのあり方や労働のあり方、また階級という問題をもう一度歴史的に読み替えていくことが必要であると思います。その場合に、例えばテクノロジーであれば一方でのハイテクと言えるような情報テクノロジーがあり、また労働の問題で言えば七○年代以降フェミニズムやアウトノミアのなかでさまざまに語られて来たような賃労働=労働ということではなく、或る種のシャドウワーク的な領域、場合によっては睡眠や余暇なども含めて従来は、「非労働」とみなされていた諸行為が、実は〈労働力〉再生産行為として、否応なく資本の価値増殖システムに組みこまれていることを明示的に捉え返すならば、ありとあらゆる行為が労働としてしか規定され得ないような、日常生活のサイクルと規範にこそ私たちは包囲されているのであり、或いは労働として拘束されるような時間が、「余暇社会」やレジャー産業のまん延と同時に肥大化しているというふうにみることができ、こうした地点から労働概念というものをもう一度把えかえす必要があると考えるわけです。

或いは階級という概念にしてもこうした労働概念の拡張を前提とすると、従来で言えば属人的な、人に属する概念として見ていたわけですが、果してそれでいいのかという問題がでてくるといえます。ここでは大雑把にしか言えませんが、僕は階級という概念を転換させることを通じて、階級闘争を新たな内容をもったものとして生かしたいと思っています。その場合、階級は、もはや属人概念としては役に立たず、構造的な概念として把え、構造としての階級を解体してゆくことが重要なポイントになるだろうと思います。諸個人は特定の階級に全面的に組み込まれる単一の「要素」ではなく、単に賃金労働者として、職場で労働する場面において、労働者階級という構造のなかにとらえられることになるわけですが、彼/彼女が、職場の外で別の役割(夫/妻、父/母、消費者、市民などなど)を担う場合、そうした役割の部分は賃労働-資本という階級構造としての側面からみれば背後に退くことになります。賃労働者として、生産的労働者としての役割を主要な変革の主体として定立しえた時代にあっては、こうした役割がそのまま主体の全体を覆うものとして、構造的な要素でもあったわけですが、〈労働力〉再生産過程が資本と国家の直接的な包摂の対象となり、諸矛盾の噴出が資本-賃労働関係の枠から次々と逸脱することによって、変革の主体もまた、旧来の階級関係の枠を逸脱したところに出現してくるようになります。こうして、旧来の階級概念を、一方で属人概念ではなく価値増殖の構造概念とし、同時にここにおいて資本との関係項の「対」をなす「労働」を、賃労働ばかりでなく〈労働力〉再生産労働を含むものへと拡張した上で、変革の主体を、この構造として成り立つ階級社会の枠からの逸脱的な存在——それを私は「部分的プロレタリアート」と呼んでいますが——に見い出したいと考えるわけです。

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こうした読み替え作業というのは同時に資本主義というシステムそのものが今現在持っている概念、カテゴリーに対する具体的、物理的な力への対抗として考えていかなければいけない。私がここで、様々な概念を別様に定義します、と宣言したり、学術書としてまとめたりすることは、ほとんど今まで語ってきた「読み換え」とは関係のないことです。これもグラムシが『獄中ノート』で言っていることですが、やはり究極的には革命とは「関係を破壊するということ」なのであって、これは資本主義が支配するカテゴリー産出の権力を解体することだ、と私は思います。関係というのは具体的に目に見えるものとして紐でAとBが結びついているという風なものではありませんから、「関係の破壊」もその紐を立ち切ればいい、というようにはいかないのであって、社会的な諸制度を解体することに還元しきれないものを含むものです。実は関係を繰りかえし再生産する装置として先に述べたようなヘゲモニー装置が働いているわけであるから、ヘゲモニー装置をこわしていくことがこの「関係の破壊」にとって必要不可欠だろう。それはヘゲモニー装置が私たちに及ぼす触手というものをどうやったら絶ち切れるか、という問題だといってもよいでしょう。

その辺が多分に七○年代に例えばグラムシの正当な鏑子と主張するイタリア共産党やユーロコミュニズムのとった考え方と私の考え方の大きな違いです。むしろ彼らの場合はヘゲモニー装置の解体や「関係の破壊」を求めたのではなくヘゲモニー装置の中に介入し、関係を求めることによってヘゲモニー装置そのものをいわば換骨脱胎できると考えました。このことの失敗が、アウトノミアという議会外左翼による広汎な運動を生み出したといえます。

別の考え方をすれば、未だヘゲモニー装置が作動しない、或いは作動し切れていない領域の中に私たちの側から逆のヘゲモニー装置というものを構築していく——そいういう可能性を探っていくことであると思う。その差し当りの焦点は「文化」としてあらわれてくる広義の意味でのイデオロギーの問題であり、そしてそこをつきつめていくと文化の衣裳をまとった政治、拡散し、蔓延したミクロな政治というものが目に見えて来るのではないかと思うわけです。

出典:『現代の理論』1988年3月号