米国NSAと日本──ウィキリークス公開文書から考える

Wikileaksが日米関係について、米国諜報機関NSAによる日本政府や企業の盗聴に関連する機密情報を公開した。この件については日本のメディアも報道しているので、概略は日本でも知られている。少なくとも、公開されたファイルの内容よりもむしろ問題は、別のところになるように思う。

このWikileaksのプレスリリースから私たちが是非とも考えなければならないことは、大きく分けて二つあると思う。一つは、どのように盗聴することが可能になったのか、という米国NSAの諜報の「方法」に関する問題、もうひとつは、公表された内容からみて何がターゲットにされているのか、という問題である。そして、これらに関連して、日本の政府や官僚組織あるいは企業の内部の協力者問題がある。

●盗聴のテクノロジー?

NSAは、内閣府や首相官邸、日銀、経産省、財務省など広範囲にわたって盗聴していたのだが、これはどのようにして可能だったのか。公開されたファイルからすると、盗聴されていたのは電話回線のようだ。とすると、文字通りのサイバー「戦争」もどきにNSAのハッカーがネットワーク越しに日本政府などのネットワークに侵入して機密情報を取得したということではないのかもしれない。

一般に、デジタル化された電話回線を盗聴することは、回線のどこかに盗聴用のケーブルを接続すれば可能といったものではなく容易なことではない。盗聴には、通信事業者の交換機などの機器に接続させる必要があるといわれている。この電話回線のデジタル化が、かつての盗聴法の制定の過程で、国会でも議論されてきた。

言い換えれば、アナログ回線なら警察などが違法に盗聴することができたのだがデジタル化されたことによってこれがかなり困難になったということだ。共産党の緒方国際部長宅への盗聴はアナログ時代の公安警察による違法な盗聴行為だった。そうしたことができなくなったために、合法的な盗聴の手段を用いざるをえなくなり、盗聴法の制定へと向かわざるをえなかった、ということである。

だから、盗聴法は、公式には刑事事件に対する盗聴捜査だとされたとしても、緒方事件のような警備公安警察による違法盗聴のような「手法」への転用の危険性が常にある、ということである。そして、NSAの今回の盗聴は、こうした危惧を現実のものにした。米国の諜報機関がやっていることを日本の諜報機関やこれに類する警備公安警察がやろうとはしていない、ということは考えにくいからだ。しかも、911同時多発デロ以降、どこの国の諜報機関も、活動の範囲を国内の自国民にも向けるようになってきている。

もしデジタル電話回線の盗聴が本当に起きていたのであれば、そのことをなぜ日本政府は把握できなかったのだろうか。これは、政府のセキュリティが問われることになるだろう。こうしたNSAの活動が可能だった背景に、日本国内の協力者の存在を考えることは妄想だろうか。

スノーデンはNSAなど諜報機関の仕事をしつつ日本国内で米国IT企業のDELL社員でもあった。彼に聞けばすぐわかることだが、彼は2009年から日本で活動していたようだから、今回のwikileaksの公開文書とは時期が重複している可能性もある。いずれにせよ、日本国内に現在もNSAの協力者が米国企業などを隠れ蓑にして活動でいるだろうことは容易に想定できる。

とはいえ日本国内に協力者がいる場合でも容易に電話回線を盗聴できるようなことが可能かといえばそうともいえそうにない。ほとんど不可能だというのであれば、逆に、wikileaksの公表文書の信憑性が問われることになるが、技術的にはしかるべき機器にアクセスできれば全く不可能ではないから、協力者がどのように協力すればこのようなことが可能なのかを徹底して調査することも必要だろう。もし、こうした調査を政府自身が消極的であるとすれば、こうした態度それ自体が政府内部への疑惑を生むことになるだろう。

日本国内の通信の盗聴のためには、ターゲットとなる回線にアクセスできることだけでなく、日本語に堪能であること、ターゲットを間違いなく絞りこめることなどをこなせる人物など、かなりの組織力が最低限の条件になる。スノーデンのように日本語が十分ではなく日本の政治や官僚システムにそれほど熟知しているとはいえないような者にはできないことだ。とすると、官僚制度や政府内部で、あるいは企業の内部で機密情報にアクセス可能な人間が何らかの形で協力していた可能性はないのだろうか。また、通信設備のどこかで盗聴が可能であるとすれば、それは通信インフラの管理を担っていた通信事業者内部の「誰か」が協力者としているということは考えられないことではない。

●何をターゲットにしているのか?協力者の存在なしで可能か?

一般にスパイというと軍事機密がターゲットになると考えられやすいが、今回の文書はほとんどが経済(農業)、エネルギー、気候変動問題だ。たぶん日米同盟のなかで、軍事防衛については、あえて諜報機関を駆使しなければならないような日本側の秘密はほとんどないのではないか。それだけ軍事防衛の関しては親密になっているのかもしれない。在日米軍基地のかかえている問題、たとえば、沖縄での反基地運動の情報などは、むしろ日本政府や日本の警察当局などが積極的に米国に提供している可能性も否定できないと思う。だから、米国の諜報機関はこうした問題で日本国内で「仕事」をする必要がないのではないか。

これに対して、経済の分野は、グローバルな競争環境において日本と米国は競争相手であることは間違いない。公表された文書は古いものなので主にWTOがらみの議題がターゲットになっているが、現在であればTPPに関する議題がターゲットになっているということだろうか。今回の米国のルール違反がありながら日本がTPPを米国の思惑通りに進めるのであれば、日本政府がこぞって、米国の諜報機関の手先になっている、といっても過言ではない喜劇的な悲劇だろう。(この可能性を私は否定できないのだが)米国の諜報機関が日本の経済政策や日本企業を盗聴した事件は過去にも起きており、日米貿易摩擦が深刻な事態にあったとき、米国が日本の在外公館や日本企業を盗聴していたことが、欧州評議会の「エシュロン」についての調査報告などで言及されたことがあった。

米国にとって、経済は国家安全保障の重要な一貫をなしており、軍事安全保障と一体のものだ。米国にとっての日米同盟が、その軍事同盟としての側面に端的に示されているように、米国の国益が唯一絶対の基準となっており、これに日本を従属させるものであって、対等な同盟関係ではないし対等になりようのない軍事力の格差がある。これに対して、経済についてもまた、米国は自国の主導権とルールメーカーとしての立場を維持しようとしているが、これは軍事力ほど容易いものではない。冷戦後、一時期、諜報機関の存亡の危機が噂されたこともあるが、ポスト冷戦から「テロとの戦争」の間の時期に、諜報機関が新たに見い出したのが「経済」をターゲットにした諜報活動だった。ちょうど反グローバリゼーション運動やエコロジストの運動が世界規模で欧米主導のグローバル資本主義に抵抗しはじめた時期でもある。

軍事安全保障と表裏一体のものとして、米国の国益としての経済に関しては、同盟国への監視と情報収集が露骨におこなわれてきた。これがWikileaksがこれまでにも公表してきたフランスやドイツであり、ラテンアメリカにおける反米の潮流への監視としてのブラジルにおける盗聴だったのではないか。

●日米同盟と戦争法案は愚の骨頂ということだ

今回のWikileaksの問題については、現在国会で議論されている戦争法案、盗聴法の改悪など含めて、議論を根底からやりなおすべき問題を孕んでいる。

集団的自衛権の前提として日米同盟は、今回の「事件」でわかったように、米国の国益のための同盟でしかない。この点で、集団的自衛権を日米同盟を前提として主張する安倍政権の前提が崩れた。米国は日本を助けるかどうかは、米国の国益に従属して決まるにすぎない。日本の米軍基地も米国の国益のために存在するにすぎない。このことをNSAの行動は示した。集団的自衛権の「敵」の可能性に米国を含まない限り、政権のいう「自衛」の実質は担保できない。

しかし、同時に、このような事態のなかで、米国からの軍事的な自立=自衛隊の強化や米国をも念頭に置きつつ日本を諸外国の脅威から防衛するといった「強い日本」の心情が強化される危険性がおおいにある。米国すら日本を敵視している、あるいはアテにならないということに、親米右翼や親米保守が宗旨変えするとは思えないが、世論の雰囲気がこうしたナショナリズムへと向う可能性は否定できない。これがある意味で、現在の世界規模でのある種の大衆運動のトレンドでもあるからだ。武力における敗北の積極的な意味を思想的にも現実の政治の問題としてもきちんと議論することがなければこうした自立的なナショナリズムの罠に嵌ることになるだろ。これは日米同盟と同様の最悪かつ最低の選択だ。

今回のwikileaksで暴露されたドキュメントのそもそのの存在を日本政府が認めず沈黙を守る可能性もあるが、そうでないとすれば、これらのドキュメントが「特定秘密」に該当する内容なのかどうかは興味深いところだ。しかし、Wikileaksが公開したのは、日本語の生の記録ではなく英語にされたものだ。フランスやドイツなどに関しても英語のドキュウメントが公開されている。もともとの日本語の通話記録があるのかどうかは、このドキュメントの信憑性にとっても重要かもしれない。

また、上に述べたように、日本国内の、とりわけ政権内部の協力者の存在の可能性があると思うのだが、このような問題にきちんと取り組めないとすれば、この国の権力もまた「傀儡」政権として腐敗した政権のレッテルを貼られても間違いとはいえないだろう。しかし、同時に、転んでもタダでは起きない権力の性向からすれば、こうした「スパイ」問題を逆手にとって、かつての国防保安法やあるいは「スパイ防止法」といった市民的自由と知る権利を大幅に制約する新規立法に向う畏れもある。それだけでなく、本来なら米国を批判すべきにもかかわらず、機密情報を取得したWikileaksを犯罪者扱いして批判の矛先を米国からWikileaksに向ける可能性もある。こうなると、かつてのゾルゲ事件や西山事件のように、反政府的な情報収集と開示の運動への弾圧に転用される危険性があるだろう。要するに、米国政府は日本を信頼できる同盟者とは考えておらず、日本の政府は米国に追従しつつ、盗聴法の拡大に端的に示されているように、この国の市民をもっぱら監視の対象としているわけだから、私たちは、米国であれ日本であれ「国家」なるものに自らの人生を預けるような愚かな選択をすることなどできようがないということである。

いずれにせよ、この問題を政府は政局の火種にならないと高をくくっているように見える。しかし、野党がこうした問題を徹底して追求できないということもまた不思議なことである。NSAの今回のファイル暴露の時期は民主党政権の誕生と踵を接っしており、スノーデンの活動の時期とも重なっているように思う。にも拘わらず民主党はこうした盗聴問題にはほとんど関心がないようにみえるし、今回の盗聴法改悪にも賛成している。刑訴法改正で与党に協力することで何かの裏取引があったのだろう、ということは容易に推測できる。たとえ戦争法案で対決しているようなポーズをとったとしても、国内の治安立法を戦争法と連動させて位置づけることができないなら、戦争法反対もたぶん腰砕けになる可能性がある。

(2015年8月2日 ブログ)