違憲立法審査を法案段階で適用してはならない理由はない

憲法学者の9割が政府の戦争法案は違憲であるとし、世論調査でも有権者の大半は戦争法案に疑問を抱きながらも、逆に国会では、この憲法学者の解釈は不合格とされ、有権者の多数の心情も退けられている。こういう事態をどう解釈したらいいのか。端的に言って、法解釈の権限を立法府が占有するという異常事態となってしまったわけだ。司法を既定の法のみを対象とする統治機構とみなせば、法案が違憲の疑いがあっても司法は口出しできないということになる。しかし、これは法の支配を脆弱なものにしてしまいかねない。

憲法には違憲立法審査権の規定があることはそこそこ知られている。以下がその条文だ。

憲法81条「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」

81条には、法案の段階で審査してはいけないとは書いていないが、法案という文言もない。この8条の趣旨が、社会のルールが憲法に抵触するかどうかの判断の権限は最高裁にある、最高裁はこの違憲立法審査の義務を負うということでもあるだろう。そうであるとすれば、法案段階であっても、有権者からの訴えやあるいは、国会議員からの訴えでもいいだろうが、これらの訴えをきちんと受理して、場合によっては法案段階でも、それが違憲であるという判断を最高裁が下すことがあってもよいはずだ。そうした判断が立法過程のなかでなされることは、立法府の権限の侵害ではなく、適正な立法過程にとって好ましいのではないか。とりわけ、法案が憲法に抵触するかどうかをめぐって鋭く対立して紛糾している場合は、なおさらではないか。

憲法学者の9割は戦争法案を違憲と解釈しているから、推測するに、最高裁判所の判事も多分その9割とはいわないまでも過半数は違憲だと判断しているのではないか。彼らは何を考えながら国会審議を見、そして沈黙しているのだろうか。何が彼らを沈黙させているのだろうか。実際、最高裁が国会で審議されている法案について、「この法案は違憲だから審議できない」という判断を審議の最中に下すということは、これまでの歴史のなかで一度もないのではないか。なぜないのか?むしろ不思議なくらいだ。

通説では憲法76条の「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」を前提として、下級裁判所で争われた裁判について憲法判断をすることが違憲立法審査であって、抽象的な法律それ自体について違憲かどうかを審査するものではないという解釈がまかりとおってきた。しかし、これは政府や議会の多数派にとって都合のよい解釈ではないだろうか?

国会では、戦争法案の違憲か合憲かで論争が繰り返され、憲法学者が参考人として呼ばれたが、法案段階で疑義が出て紛糾しているのだから、憲法に従って最高裁の違憲立法審査に委ねるべきだという判断を誰もしないのは、通説による違憲立法審査権の解釈をみながあまりにも鵜呑みにしすぎてきたせいではないだろうか?

そもそも違憲立法審査を法案段階で適用してはならない理由はない。法案が法律として成立し、この法律によって集団的自衛権が行使され何人かの戦死者や犠牲者(「敵」を含む)がでて、その後にやっと誰か、その犠牲者の遺族か利害関係者が違憲の訴えを起し、何年もかかってやっと最高裁にたどりつき(多分この訴訟の最中も更に戦争の犠牲者が増えるだろう)、そこで「違憲」という判断が下されるのが通説の違憲立法審査の過程だろう。しかし、法案の段階で違憲という判断を下すことができるのであれば、違憲の法律が引き起こすであろう犠牲をあらかじめ回避できるということになりはしないか。言い換えれば、現在のいわゆる「付随的審査制」のやりかたでは、立法府で多数をとる政権政党に都合のよい違憲の法律が違憲立法審査を経ずにいくらでも制定可能だということになる。裁判で具体的な事件の被害者にでもならない限り、違憲を問えないというのは、事実上憲法を逸脱する法を蔓延させることになりはしないだろうか。

もちろん、わたしは最高裁に全幅の信頼を寄せるほど楽天家ではなく、むしろこのような重大な憲法論議がなされている中で、最高裁の判事たちが、前例を見直し、違憲立法審査のありかたを再検討すべく真剣に議論しているのではないか、と期待するものである。逆に彼らは、漫然とテレビを観て、違憲・合憲の争いを私的な会話のなかで話題にして済ませているのだろうか?それとも、それすらなしで無関心を装っているのだろうか?何を考えているのか、と思う。何ひとつ積極的な行動をとらないで漫然としている最高裁判事たちの日常を想像すると、かなりの憤りを禁じえないのだが、法の支配を覆そうとしている国会の行為を司法の立場からきちんと抑制することもまた、裁判所がすべき責任ではないだろうか。

さて、憲法学者の大半が違憲だという戦争法案だが、その憲法学者のうちいったいどれほどが憲法81条の画期的な「改釈」を認めてくれるだろうか?まだ戦争法は「案」であって成立していない。現行の状態でも完全に違憲状態だと思うが、それを更に超えて、大方の改釈や理解をも超えて、衆議院が可決した戦争法案の成立を阻止するひとつの合法的で合理的な方法は、憲法81条の効果的な行使を促すことくらいしかわたしには思いつかない。

もちろん、こんな手法は甘いに違いない。エジプトのタハリール、ウォール街の99%,香港の雨傘、世界中に広がる非暴力の大衆運動が、この国でも、新たなオキュパイ運動として広がる潜在可能性はありうると思うのだが…。まあ、それはそれとして。

(2015年7月17日)