特定秘密法案は監視型国家への新たな一歩になってしまう

以下の文章は、10月8日の夜のネットラジオ番組、デモクラシーナウジャパンのラジオかわら版で秘密保全法案(以下、現在の名称である特定秘密保護法案を用いる)の特集番組にゲストで出演した際に書いたものに加筆した。

盗 聴法反対運動や監視社会批判などの運動にこれまでも関わってきたにもかかわらず、わたしはこの間の特定秘密保護法案についての議論にほとんど発言らしい発 言をしてこなかった。これまで様々な批判が既に出されており、これにあえて加えて何かを語れるかどうか、必ずしも自信があるわけではないが、保全法の成立 を絶対に許すことはできないということについて、わたしなりの考えを少しだけ述べておこうと思う。ただし、これまで日弁連の批判や新聞協会の意見書な どで言及されている報道の自由や知る権利の侵害問題については、ここでは繰り返しては論じていないが、これらの問題が重要ではない、ということではない。 特に、インターネットを通じた情報発信環境にあっては、誰もがジャーナリストでありうるのであって、報道の自由は、もはや一部の職業ジャーナリストだけに 関わるものではなく、全ての市民の権利でもあること、米国などでの一連の国家機密の情報公開運動を担ってきたのは、こうした市民たちであり、彼らと関係を もつ組織内部の通報者であったことの意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。

●防衛秘密から安全保障上の秘密へと拡大されたこと
今回の法案( 特定秘密保護法案)
は、秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議が2年前に提出した報告書「秘密保全のための法制の在り方について」を 踏まえたものということになっている。この報告書では「特別秘密として取り扱うべき事項について、防衛秘密の制度を参考としつつ、関係省庁の意見を基に検 討する」ということで検討がなされている。この有識者会議の報告書そのものは、これはこれで大問題なのだが、政府法案では、法の目的を「特定秘密の保護に 関する法律案」では「我が国の安全保障に関する事項のうち特に秘匿することが必要であるものについて、これを的確に保護する体制を確立した上で収集し、整 理し、及び活用することが重要である」と定めている。そして第三条で「行政機関の長は、当該行政機関の所掌事務に係る別表に掲げる事項に関する情報であっ て、公になっていないもののうち、その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるものを特定秘密とし て指定するものとする。」と規定し、行政機関の長が特定秘密を指定できるとしており、行政に大きな裁量権を与えている。

有識者会議では 「防衛秘密」が対象とされるという限定だったのが法律案概要では「安全保障」の事項が対象とされる、というふうに変更されている。最近の政府の発言でも、 一貫して特定秘密の対象を「安全保障」に置いている。防衛が安全保障かでは、秘匿される秘密の範囲が大きく異なってくる。防衛も安全保障も同じではない か、と思われがちだが、基本的に安全保障のほうが防衛よりもずっと幅広い概念である。

たとえば「防衛秘密」に言及している法律は、自衛隊 法、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法施行令、自衛隊法施行令の四つだが(有識者会議では、これに加えて 国家公務員法、日米相互防衛援助協定、日米地位協定、日米地位協定刑事特別法が関係法令として挙げられている。他方で「安全保障」ということになると、電 子政府の法令検索で「安全保障」を機械的に検索すると184件もの法律がヒットする。自衛隊や日米軍事同盟関連の法律でも有識者会議では関係法令として挙 げられていない「武力攻撃事態等におけるアメリカ合衆国の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律」や「国際連合平和維持活動等に対する協力に 関する法律」など多くの防衛関連の法律が含まれ、さらに原子力規制委員会設置法とか拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律とか エネルギー政策基本法とか食料・農業・農村基本法とか様々の法律が関わってくる。安全保障は、軍事安全保障だけでなく、エネルギー安全保障とか食糧安全保 障という考え方があり、貧困や保健衛生や教育などの分野も人間安全保障として安全保障の枠組に組み込むことができる。要するに、「安全保障」といえばほと んど全ての分野が関与してしまう。「防衛秘密」と口では言いながら実際には秘密保全の対象が「安全保障」分野全般をターゲットにしているわけで、そうであ るとすれば、何でもありということになりかねない。わたしは「防衛秘密」であっても秘密保全の対象とする立法化には絶対反対だが、安全保障を対象とすると いうことであれば、それはわたしたちのありとあらゆる個人情報が保全対象になり、政府はあるとあらゆる自分のとっての都合と不都合によって秘密保全のシス テムを稼動させて、恣意的に法の発動をすることすら可能になりうるのではないか。

●秘密情報の積極的な収集と利用のための制度整備
有 識者の報告書が防衛秘密だけを前提としているわけではなく、より幅広い範囲をターゲットとしているのだが、その出発点に置いている枠組が法案では全くこと なっているのだ。さらに、有識者会議と法案での大きな違いは、政府保有の情報の秘匿から、秘匿の制度を前提とした秘匿情報の積極的活用へ、と、秘匿の意図 に著しい変化がみられるという点だ。有識者会議では以下のように述べられていた。

「我が国の利益を守り、国民の安全を確保するためには、 政府が保有する重要な情報の漏えいを防止する制度を整備する必要がある。また、政府の政策判断が適切に行われるためには、政府部内や外国との間での相互信 頼に基づく情報共有の促進が不可欠であり、そのためには、秘密保全に関する制度を法的基盤に基づく確固たるものとすることが重要である。」

ところが法案では次のようになっている。

「こ れを的確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であることに鑑み、当該情報の保護に関し、特定秘密の指定及び取扱者の制限 その他の必要な事項を定めることにより、その漏えいの防止を図り、もって我が国及び国民の安全の確保に資することを目的とする。」

今回の 法律案では、従来からある国家機密情報の保全だけが目的ではなくて、こうした新規の立法を梃子に、この「体制を確立した上で」とあるように、これを前提と して更にこの機密情報を収集、整理、活用することの重要性を強調している。これは、秘密の保全というよりも、より積極的に国家機密となりうるような情報を 収集し、これを活用するというわけだから、この法律の狙いは、更なる情報収集の拡大にあるということになる。現政権は、米国流の諜報組織の整備の拡充も 狙っているともいわれていることからすれば、秘密保全法は、より一層の国家による情報収集の強化の一環であって、監視型国家体制の構築における一つの側面 だとみておく必要があるだろう。

警察はこれまでも、その捜査や情報収集については、基本的に秘密主義であって、取調べの可視化はおろか、 一般刑事事件における捜査資料についてすら、裁判でも全面開示されることはまれであり、警察に有利な証拠しか出さない体質がある。これが冤罪を生む温床と なってきたが、更に、公安警察がかかわる(今回の法案と深く関わるのは公安警察になるだろう)場合は、こうした傾向はさらに著しい。警察は恣意的に「特定 秘密」指定を濫用する可能性があり、このことは、特に、公安事件における社会運動や政治運動の弾圧に関する事件の場合、特定秘密の内容が裁判でも明かにさ れないまま、被告が罪に問われることがありうる。

こうした場合だけでなく、特定秘密の指定が権力の腐敗を隠蔽する手段に用いられる危険性 が大いにある。特定秘密の指定自体が、単に権力の自己利益のために不都合な事実を隠す目的に利用された場合であっても、こうした特定秘密も漏洩させれば罪 に問われることになる。法案そのものが、行政に広範な裁量を認めてしまっている以上、特定秘密の是非を裁判で争うことは、現行の裁判制度ではほとんど不可 能ではないか。秘密保全法は100パーセント悪法であるだけでなく、この悪法の悪用をチェックすることができない仕掛けになっているのである。

何を特定秘密に指定するのか、法案では行政の恣意的な運用が可能だという批判に対して、政府関係者から第三者機関によるチェックが検討されているという報道もある。(たとえば、毎日) しかし、争点となる問題法案のばあい、政府は、法案を通す戦術として、法案の問題点をクリアするような体裁をとりあえずとって、法案を通し、その後、国会 での議論や約束(法律に明文規定がなければ口約束にしかならない)これらの約束を反故にして、なしくずしにしてしまうのが常道だ。秘密保全法案について も、法案を通すテクニックと法案の意図とを混同してはならないだろう。法案に書かれていないことは一切信用するに足りないとみるべきだし、法案の文言は、 最大限の拡大解釈がなされた場合の危険性を念頭に置く必要があるだろう。

●「適正評価」という新な思想調査と差別の制度化
法案で は特定秘密の取り扱い者が漏洩のおそれがないか、過去の活動歴、犯罪歴、情報取扱における非違行為、薬物使用歴、精神疾患、飲酒、経済状態など広範囲にわ たる身上調査を義務付けている。テロリズムなどの政治活動については本人だけでなく評価対象者の親族など周辺の者への調査も含まれる。

こ のような規定があると、今後、公務員になる者や民間企業に就職する者についても、こうした思想調査が一般化しかねない。公務員であれば、だれもがこうした 評価対象者になる可能性があり、また、民間であっても法案が想定しているように国家機密を扱うようなケースは多々みうけられる。特に、IT産業は政府のセ キュリティ産業でもあるということからすれば、日本のこうした基幹産業で働くためには、自分だでなく親族などの思想や行動がチェックされることになる。た とえば、核は安全保障上の課題であるから、原発反対運動は、解釈次第では国の安全保障を脅かす運動であるともみなされかねない。また、労働運動や左翼政党 の党員であることもまた、公務員としての資格や昇進で差別をされることになりかねないだろう。

特定秘密保護法案は、秘密の漏洩が犯罪化さ れて、報道の自由や知る権利が制約されることはもちろんのことだが、同時に、この法案は、人々の価値観や行動を自主規制的に制約する効果もねらっている。 国家の安全保障を第一に考えて行動する個人や企業、そしてメディアの体質が徐々に形成されてくるのではないか。言い換えれば、「国民」ひとりひとりが国家 の機密を防衛する側に立ち、その秘密を漏洩しようとしたり詮索する人たちを犯罪者扱いするようになる。米国で起きてきた、Wikileaks以降の情報開 示の運動や個人の果敢な闘いに対する政府や保守派の反応は、こうした行動が国益を損なうということについて、過大なまでの糾弾と弾劾である。一般論とし て、国家が秘密にしたい情報は、国家が意図的に民衆の安全を脅かすような内容であるからこそ、民衆には秘匿しておきたいことなのだ、と言うことができると 思う。

日本でも、戦前のゾルゲ事件から戦後の沖縄密約に関わる西山事件など、国家の機密に関る事件があったが、いずれも、むしろ被告ある いは犯罪者扱いされたジャーナリストたちの側に正義があったことが歴史を経る中で立証されてきたが、しかし、それは常に後の祭りであった。その時代に秘匿 された情報の結果として、民衆は意図的に誤った選択をするように促されてしまったともいえる。秘密保護法案は、こうした歴史を再び繰り返すものでしかない ことは明かだろう。わたしたちは主権者であるかぎり、間違った判断への責任も負うものだとすれば、主権者としての責任を果す上でも、国家の機密というベー ルは今以上に、いかなる意味においても必要としないし、むしろ、これまでも秘密のままにされてきた情報のよりいっそうの開示を求めるべきだろう。

ブログ 2013-10-10 9:50