デジタル監視法は超監視社会を招来する! アナログ選択権の行使を!

 宮崎俊郎(NO!デジタル庁)

1.ついに5月12日にデジタル監視法が成立

残念ながらデジタル改革関連6法案が今国会で成立してしまった。3月に衆議院内閣委員会で実質審議入りしてたった2か月、衆参50時間の短時間審議しか行われずに。毎週国会前で集会を行って廃案を訴えてきた私たちの主張が国会議員ばかりでなく多くの市民に届かなかった。それがこの課題の困難さを表している。ギリギリで成立断念に追い込めた入管法改悪案とは危険性の浸透度が違ったのだ。

この法律が実体化していくとすれば、超監視社会を招来すると私は思う。しかし法律成立は地獄への一里塚でしかない。いかにその実体化を阻み、監視社会化を阻んでいくかは今後の私たちの取り組み如何にかかっているのだ。

安倍政権の継承として成立した菅政権は、「デジタル庁」改革を政策の目玉として強くアピールした。その狙いは、コロナ禍を追い風としてこれまでできなかったデジタル化を一挙にしかも強権的に進めることだった。コロナ禍で「デジタル」や「オンライン」という言葉がアプリオリに「良いもの」という空気が醸成されてしまった。しかも「日本はデジタル化が遅れている」という神話付きで。

デジタル庁の進めるデジタル化はすべての行政への申請を100%デジタル化すると政府は説明している。ところが国会議員が関係する政治団体が政治資金収支報告書をオンラインシステムを使って提出していたのは2019年分でなんと1.13%。あの平井卓也デジタル改革大臣は「膨大な領収証のコピーをPDF化しなければならず、オンラインの方が作業量が多くなってしまう。」という理由からオンライン申請していない。このシステムには36億円の国費が投入されている。「何でもデジタル」の可笑しさを自ら立証している笑えない話だ。

2.デジタル庁構想は超監視社会を招来する

デジタル庁とは、他省庁からデジタル化について人もカネも権限も取り上げて強権的にすすめようというトップダウン方式の官庁である。

行政手続においてオンライン化やデジタル化の掛け声の割に実際は進行が遅いので、各官庁ごとの権益を取っ払ってシステムの標準化・統一化を強硬に進めようというものである。

こうした強引な手法の狙いは、私たち市民の利便性では決してない。検討している政府のワーキンググループの資料には「データの利活用」という言葉が溢れかえっている。私たちの個人情報も「自己情報コントロール権」などは抵抗要素でしかなく、いかに本人同意なく共同利用していけるかを標準化・統一化においては徹底的に模索しようとしている。

そうした情報=データの標準化・統一化による利活用は何をもたらすのか。それは超監視社会である。すべてをデジタル化するということはすべてを記録するということだ。そして記録されたデータをできるだけ共有化していくことで私たちの日常生活が丸ごと把握可能となる。膨大なデータを串刺しにするのがマイナンバー(=個人番号)なのだ。

3.個人情報の保護より「利活用」

これまで行政はその組織の目的に応じてシステム化を個別に行ってきた。そのため「縦割り行政」としていまは指弾の対象となっている。確かに行政内部で情報流通しないため、部署ごとに同じ内容の申請を余儀なくされる。 しかし、個人情報が自由に内部流通できないからこそ保護されてきたのだ。壁を取っ払って自由に流通でき、個人情報保護の規制を緩和していくということは、情報が集中するか、もしくは容易に手繰り寄せることが可能となるということを意味する。

そして作り出されるは、民間も利用できる巨大なデータベースだ。監視機能と同時に民間企業にこのデータベースを利用させていくことがデジタル化のもう一つの狙いである。国や自治体の保有しているデータを「ベース・レジストリ」という巨大なデータベースとして整備し、民間企業にも利用できるようにするという。本来やらなければならないのは、国や自治体の保有している隠蔽された森友・加計学園などの情報の市民への情報開示であり提供であるはずだ。

4.地方自治の破壊が進行する

システムの標準化・統一化が行われるのは国の官庁だけではない。地方自治体のシステムも土俵に上げられ、全国規模のクラウドである「Gov-Cloud」に参入させられていく。これまで自治体はその地域にあった福祉や教育を提供してきた。しかし、今回の措置は、全国共通の仕組みに変えて違いを認めないということを意味する地方自治の破壊であり、国の出先機関化である。

さらに個人情報保護の仕組みすら国に合わせて低レベル化しようとしている。情報の利活用にとって自治体条例は目障りなものとしか映っていないのだろう。多くの自治体は住民情報を他団体と「オンライン結合」することを個人情報保護条例で禁じている。こうした条項も廃止の対象としてあげられている。すべての自治体の個人情報保護条例を国の「緩い」ルールに従ったものに変更させようというのが真の狙いだ。 5.デジタル庁番号=国民総背番号を許さない!

マイナンバー制度をこれまでの「税・社会保障・災害対策」の3領域から解き放ち、すべての領域のデータベースのキーコードとしてデジタル庁が管理しようというのが今回のマイナンバー制度改革である。まさにこれはスタート時点の制度とは似て非なるものだ。 マイナンバー制度はこれまで内閣官房、内閣府・総務省などが役割分担して所管してきた。それをデジタル庁一括管理とする。またマイナンバーカードを発行している地方公共団体の共同運営組織である地方公共団体情報システム機構(J-LIS)をも管轄下に入れようとしている。  デジタル庁の所管する共有化・標準化された情報=データを串刺しにするキーデバイスとしてマイナンバー制度を位置付け直し、あらゆるデータに紐付けられるよう再構築を図る、まさに国民総背番号と呼べる番号への変貌を図ろうということではないのか。

コロナ給付金の支給遅れを全く関係のない銀行口座とマイナンバーの紐付けがなかったことに原因を転嫁し、義務付けを画策していたが幸いなことに頓挫した。しかし最終的な狙いは金融資産の把握であろう。

現在最も狙われている領域が医療と教育だ。特に教育では生徒児童の成績のマイナンバーによる一元管理も浮上しつつある。人間にとって最もセンシティブな情報をマイナンバーを使って紐付けようという構想は要注意だ。

マイナンバーカードも今年3月には交付率も上がってきており、交付枚数も3800万枚を超えた。それでも保有率は約3人に1人だ。本来であれば敗退してもよいシステムだ。しかし、デジタル庁構想の下、菅政権はなりふり構わず交付率を上げようとしている。 これまでのマイナンバー制度が不便で使われなかったのは、様々な規制の存在が原因で、それらを取り払うことで便利に使えるようになるという言説が横行している。私たちがしょうがなく付けさせてきた「規制」が取り払われれば、行き着く先は国民総背番号制である。

6.アナログ選択権の行使を!

法律が成立したあとの長期の取り組みで最も重要なポイントとは何であろうか。

一つ一つのデジタル化の際に、アナログ方式の選択権を認めさせることが取り組みのポイントとなってくるだろう。たとえマイナンバーカードを保険証として利用できるようになったとしても、これまでの保険証利用を問題なく保障させることが大切だ。

デジタル化やマイナンバー制度の強制を許さず、「アナログ選択権」を権利として定着させる取り組みが必要だと私は思う。アナログ方式の選択権を保障してそれを選択しても不利益のない仕組みを作らせることを基本的な人権として確立することを提唱したい。そうした粘り強い闘いを通して制度そのものを根絶やしにしていく可能性を信じて闘いを継続していきたい。

(初出:関西共同行動ニュース、2021年6月)

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