二つのアピール:終わりにしよう天皇制11・26集会アピール/天皇主義右翼による、立川テント村宣伝カー破壊を許さない。 暴力に萎縮せず、反天皇制の声を大きく上げよう!

以下、二つのアピールを転載します。言論表現の自由は、日本において、戦前も戦後も「天皇制」を否定する言論に対して、最低限の公正な議論の場が与えられることは本当に少なかった。戦後においても、マスメディアは敬語報道を自らの報道規範としてきたし、文学であれ美術であれ、多くの天皇制をめぐる表現が自粛やあからさまな規制、検閲をくりかえし受けてきた。(アライヒロユキ『天皇アート論』社会評論社など参照)代替わりの議論でも、天皇制を選択肢にしない統治機構の可能性という議論は当然のようにして除外されてきた。改憲論議もまた、天皇条項がいかに他の条項と整合しないかを論じて、1章は削除すべきで憲法前文から2章(9条)へとつながる論理の方が合理的だというような議論すらでてこない。こうしたなかで、私も含めて、天皇制は不要であるという主張は、あきらかに少数派だが、そうであるからこそ、こうした言論を権利として保障できるかどうかが、この国の言論表現の自由で試されていると思う。


終わりにしよう天皇制11・26集会 集会アピール

天皇教という言葉もある通り、天皇一家の宗教としての振る舞いは、これか
ら予定されている代替わり儀式において、もっとも濃密にあらわれる場面とな
る。メディアに映るのは民衆の素朴な信仰を装っているが、天皇教はあまたの
宗教と違い当たり前のように公共予算を食いつぶす。法律(憲法)によって存
在を許されながら、その法律を無視し、ゆがめ続けることも天皇の十八番であ
る。2016年7月から始まる「生前退位」騒動は、代替わりを円滑に進めようと
いう天皇と支配層の都合ばかりが通りすぎている。特例という名の茶番は、天
皇制自体がかかえ持ってきた混乱でしかないことを思い起こすべきだ。
この宗教の原理主義者というべき人たちは長い間、「日の丸・君が代」をは
じめとする選別の道具を用いて、異端をあぶりだしては、官民あわせたむき出
しの暴力をちらつかせてきた。
一方、今の天皇は原理主義色を薄めることも意図しながら、被災地を含め少
数派と思しき人々への「慰問」に精を出し、より幅広い信仰のすそ野を広げよ
うと「仕事」してきている。今回オリンピック開催を前に譲位しようとする天
皇の意図も、穏健さの表れとして好意的に解釈されがちだ。しかしその作業は、
身分等の差別を含んで広がる格差をあたかも平らに地ならしするように装いな
がら、その作業をする天皇自身は、格差の頂点あるいは格差の枠外に座り続け
るという理不尽をあらわしているのである。
もちろん日本の中だけでない。アメリカからやってきたトランプのような乱
暴な人気取り差別主義者でさえ、天皇一家の儀礼的空間をくぐれば、彼の犯罪
性を薄めるかのような政治的効果を生み出したりもする。天皇は、かつて自分
の親たちが侵略戦争でアジアの地を血で染めたことを原理主義の行き過ぎとし
てしか顧みないのだろうか。近い将来、短絡的で好戦的な支配者たちが朝鮮半
島で一線をこえることがあれば、天皇たちは静かなお墨付きを与えるのだろう
か。
今、代替わり儀式のみならず、天皇のあり方を問うこと自体に委縮する状況
ではある。これまで述べてきたような「平和天皇」の姿は、天皇制に異を唱え
る存在に対する右翼の暴力と、それを黙認する警察によってはじめて成り立っ
ている。このことを放置し看過すれば、表面的な政治変革さえまっとうされな
いし、格差の下層におかれた人々が孤立した末に天皇教のようなまがいものに
しか希望を見いだせないという悪循環が続くことになってしまう。
天皇代替わり儀式は、そもそも血縁が(男子を通してのみ)長い歴史を経て
続くという天皇一家の宣伝の場であり、いつわりの権威づけの核心でもある。
その思想のために、どれだけの性差別と、優生思想とが生み出され、どれだけ
の生身の人間が絶望の淵へと追い込まれたことか。結集された怒りこそが天皇
制、天皇制的なものを終焉に追い込み、真に素朴な関係性で人が生きる社会へ
と展望を開くだろう。
天皇制はいらない! 天皇制を終わりにしよう!

2017年11月26日  集会参加者一同


※なお11月23日、本日デモで使用予定の宣伝カーを右翼が襲撃破壊した件についての声明

天皇主義右翼による、立川テント村宣伝カー破壊を許さない。
暴力に萎縮せず、反天皇制の声を大きく上げよう!

11月23日、陸上自衛隊立川駐屯地で行われた「防災航空祭」に抗議していた、
地域の反戦・反基地団体「立川自衛隊監視テント村」の宣伝カーが、街宣右翼
によって1時間にわたる攻撃を受け、フロントガラスやサイドミラー、ランプ
などが破壊されるという事態が起こった。
テント村の宣伝カーは、昨年11月20日の吉祥寺で行われた「天皇制いらない
デモ」でも襲撃・破壊されている。今回も襲撃者が「去年今年とよく壊れる車
だなあ」「26日はこんなもんじゃねえぞ」と口にしていたことからも明らかな
ように、右翼の目的は、反基地運動に対する襲撃であると同時に、明日、11月
26日に私たちが行なおうとしている「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」
への攻撃であったことは明らかだ。同宣伝カーが、この間の反天皇制デモの先
導を務めていることを知った(知らされた?)右翼が、この宣伝カーを狙い撃
ちにしたのである。今回、とりわけ防災航空祭抗議行動の終了後、撤収中の宣
伝カーを街宣車で取り囲んで執拗に襲撃したことは、それがたんに偶発的な事
態ではなく、 きわめて計画的な犯行だったことを物語る。さらに、私服公安
警察や立川署警備課の警察官も、目の前で起こっている破壊行為を黙認してい
た。天皇主義右翼と警察とが馴れ合って、白昼堂々、好き放題の蛮行がなされ
たという事実を、私たちは決して許さない。
こうした天皇主義者による暴力、それは「平和天皇」「護憲天皇」と賛美さ
れ、いわゆる「リベラル」層からも評価の高い明仁天皇制もまた、現実には暴
力によって支えられていることを明らかにする。
世襲の君主という特権身分が「日本国および日本国民統合の象徴」として据
えられている。この天皇制という差別的な制度の存在自体が、「絶対敬語」や
「人格賛美」を通じて、特別な存在に対するタブー意識を日々作り出し、天皇
制の前には私たちの人権や権利は制約されてもやむを得ない、とする感性を生
み出す。右翼の暴力は、間違いなくそのような意識の上に乗って存在し続けて
いるのだ。
右翼暴力の目的は運動を萎縮させることにあり、警察もまた右翼暴力を利用
して運動に介入しようと絶えず目論んでいる。だからこそ私たちは、いま、敢
えて天皇制反対という声を明確に上げていかなければならない。
「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」(11/26 13:00 千駄ヶ谷区民会
館)に結集し、各地域・現場で反天皇制の声を上げていこう。

2017年11月25日
終わりにしよう天皇制11・26集会実行委員会
東京都千代田区神田淡路町1-21-7-2A
ゴメンだ共同行動気付

*テント村へのカンパを!

立川自衛隊監視テント村
立川市富士見町2-12-10-504 042-525-9036 tento72@yahoo.co.jp
カンパ振込先⇒郵便振替00190-2-560928(口座名「立川自衛隊監視テント村」)

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