制度の「檻」としての美術館 —-富山県立近代美術館裁判から得たこと—

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制度の「檻」としての美術館
—-富山県立近代美術館裁判から得たこと—
小倉利丸(富山県立近代美術館検閲訴訟原告)

富山県立近代美術館による「遠近を抱えて」と「86富山の美術」の非公開、売却・焼却処分をめぐる控訴審判決で、私達原告は見事逆転敗訴の判決を受けた。現在最高裁に上告し、最後の審判を待つという状況にある。【注1】
裁判の結論はまだ当分先のことになると思うが、裁判を闘ってきていくつか思うことを書いておきたい。一つは、裁判で闘う意味について。もう一つは、私が裁判を通じて感じてきた「美術館の意義」について、裁判という法律上の土俵からは論じ切ることの出来ない問題について私個人が考えていることを書きたいと思う。
裁判を始めた当初から、裁判に対して懐疑的な意見を私の友人を始め幾人もの人からもらった。原告としてともに裁判を闘ってきた人たちのなかでも、本音のところでいえば、裁判の有効性に疑問を抱いている人が少なからず存在すると思う。かくいう私も、決して裁判での闘いがその労力に比例した実質を獲得できるとは思ってはいなかったし、今でもそのようなことへの期待は大きくはない。では、なぜ、裁判を闘ってきたのか?
端的にいえば、今回のような作品への美術館や行政からの干渉や検閲は、芸術論や作品論によっては解決できない問題であって、美術館という「制度」、あるいは自治体や政府が管理する公共施設における表現の自由の問題である以上、こうした制度を支える法、政治、制度と対決しなければならないのであって、そのための法的な対抗手段の一つに訴訟がある、ということだと私は考えている。
言い換えれば、美術表現が、公開・展示されるための「場」の問題は、作家と作品との関係のなかで純粋に完結するなどということはありえないし、また、これに鑑賞者を含めて、作家、作品、鑑賞者という三者の関係によって完結するものでもない、ということである。この三者の関係は、かならずどのような場合であれこの三者が出会える「場」を必要とし、この「場」を組織する「制度」の媒介によらねばならないのであり、制度の意志は無視できない、ということである。近代の美術では、こうした「場」は、サロン、ギャラリー、美術館などによって組織されてきた。
たとえば、次のような考え方がある。作品への検閲や不当な抑圧(これは戦後の日本でも繰り返し引き起こされてきたことだ)にたいして、作家がとるべき態度は、自らの作品の制作を通じてこうした制度の不当な干渉に立ち向かうことであり、政治的な振る舞いや法的な異義申し立てなどに労力を費すことは消耗なだけだとか、干渉や検閲をうけたとしても問題を「表沙汰」にするとかえって美術館などの態度を硬化させ、作家にとっては不利益になるとか、あるいは干渉や検閲をおこなう美術館側に非があるのではなく、美術館側の許容範囲を判断して自主規制することを怠った作家をむしろ厄介者扱いする傾向など、いずれにせよ美術館など制度の側のよる干渉や検閲に寛容な傾向が、この国の美術の世界にはあると私は思ってきた。
しかし、美術館や美術行政が作品発表の「場」を組織する大きな力を持っている以上、作家が場合によっては文化行政の方針や意志決定に対して異義を唱えるということは、作家自身の表現の自由にとってに不可欠な権利行使である。作家にとっては、みずからの作品の公表の回路を確保する活動は、作品制作の延長にあり、美術館が行政の政策的な意図をもって運営されるとすれば、こうした美術館への異義申し立てがある種の政治的な発言とみなされるのは、そもそも美術館自体が政治的な制度だからであって、現代の美術がこうした「場」の政治性を(隠蔽することはできたとしても)回避できなからにほかならない。しかし、作家が作家である以上、まずもってなさねばならないのは創作活動による表現行為であって、美術館への異義申し立てなどという行為は、これをないがしろにすることだという「空気」が、作家の政治的な行動を暗黙のうちに自主規制させ、また芸術を政治から分離し、結果として現代の芸術を成り立たせている政治的な制度の前提への異義を封じ込めているように見える。【注2】こうした考え方をわたしは明らかに間違っていると思う。制度への抵抗や異義申し立てを、作家の創作活動、表現行為という形で、作品へと還元することは、問題のすり替えだからだし、表現を具体的に実現する空間的な条件は、政治的な制度と切り離すことができないのが、近代の(そしてポスト近代においても)条件だからである。
しかしまた、制度による干渉・検閲に対して、言論のよる批判は必要でありそれが「世論」としての拡がりを得れば、場合によっては制度の側の態度変更を促すこともありえよう。【注3】しかし、こうした言論による批判は唯一の手段ではない。制度を変える強制力を持たないからだ。当り前のことだが、干渉・検閲は具体的であって、その解決もまた具体的、個別的に干渉を排し検閲以前の原状に復すことを実現できなければ、問題の解決にはならないから、こうした原状回復を追求することが第一に必要なことである。今回のように、ある作品が非公開となったり売却されたばあい、この「事件」の解決とは、作品の買い戻しと公開以外にないのである。とすれば、どのような手段を講じれば作品が買い戻され、公開されるかを検討し、実行することが必要なことである。これは、きわめてプラグマティックなことがらであって、面子や建前の問題ではない。作家が作品を制作することを通じて実現するであろうなんらかのあらたな表現行為や、この「事件」への論壇や画壇などでの議論がいかに活発かつ生産的に展開されたとしても、この「事件」の当事者たる行政と美術館がその態度を変えない限りは、こうした表現行為は「事件」の解決とは関係がない。制度の態度を変えさせる行為は、明らかに、一定の力の行使であるから、政治的な行動であり、一端こうした「事件」がおきてしまい、その解決を企図するとすれば、行為の政治性は免れない。制度が課した抑圧に対しては制度とたち向かい、これと闘う以外にない。
このことは、「鑑賞者」にもいえる。【注4】作品への不当な干渉や検閲は作家の表現の自由への侵害であると感じる鑑賞者は多くいるが、自分の表現の自由が侵害されたなどと感じるものは多くはないのではなかろうか。制度が課した抑圧の問題は、多くの鑑賞者にとっては作家にとっての「事件」としてしか感じられず、自分自身もまたこうした抑圧的な制度と関わる主体であるなどとは感じない。しかし、制度が課す検閲や作品への干渉は、多くの場合、鑑賞者の名において正当化される。「公序良俗」にいう「公」とは民主主義社会であれば世論である。「遠近を抱えて」問題でも、繰り返し持ち出されたのは「一般県民の感情」なるものであった。少なくともこうした状況のなかで、検閲を正当化する「世論」なるものが捏造され、操作されたものであって、決してわずかばかりの客観性も持ち合わせていないということをはっきり主張できるのは、この「世論」や「一般県民」なる集合に、行政によって勝手に繰り入れられた鑑賞者が自ら異義を申し立てる以外にないのである。そして、訴訟の過程で、鑑賞者が法的な手段を始めとしてとり得る手段を駆使することは決して無駄なことではなく、作家以上にこうした権利行使が有効であることもわかった。【注5】
作家たちが作品で「勝負」し、鑑賞者たちがひたすら展覧会に足を運び、作品の出来を批評し合うということだけで物事が進み、その影で行われる検閲や干渉に対する制度との衝突が回避され続けるとすれば、いったいどのようなことになるのだろうか? 多分、表向きはなにひとつ波風もたたず、作家たちはやがて、制度の壁を感じることなく、制度の枠内におさまる作品をむしろ作家本来の創作活動の結果として生み出し、したがって、制度が作家の作品制作や表現の自由を侵害するなどと感じることもない、そうした芸術環境が出来上がってくる。作家は自由であり、鑑賞者も自由である。誰も何ひとつ不満をもたないのであれば、いったいどこに表現への弾圧だとか、検閲などということがありうるのか?制度が目指すのはこうした意味での「自由」である。
裁判で闘う、というのは、行政や美術館という制度の決定を覆す手段として私達に残された数少ない手段である。公開運動のなかで、美術館との交渉、署名運動、議会への働きかけなど、さまざまな運動が行われたが、美術館は交渉を拒否し、署名運動は実効性を持たず、議会の多数は行政の判断を妥当と考える状況のなかで、私達に残された最後の手段が裁判だった。(こうした経緯をたどったこと自体が私達の運動の限界であった)裁判での闘いは、法的な枠組のなかで闘うことであり、問題が芸術の作品に関わるとしても、裁判で問えるのは、行政の意志決定の違法性の有無だけである。芸術についてのさまざまな議論を法定の場で開陳することはいくらでも可能だが、しかし裁判所の判断はこうした芸術の本質論のような議論には立ち入らないだろうし、「表現の自由」の問題だからといって、抽象的に表現の自由を論じるのでは不十分であり、必要なことは、あたかも重箱の隅をつつくようにして、行政の行為や行政がみずからつくりあげた条例や規則の類いを調べて、行政の行為をこれら法令と照らしてその誤りを発見して追求することなのである。「遠近を抱えて」についていえば、マスコミも含めて「世論」が作品、図録の処分に賛成したことはないし、美術界でも(本音はどうあれ)富山県立近代美術館の措置を諸手をあげて賛成するなどということはないから、「世論」的には私達に分があるのだが、裁判所はこうした「世論」に影響されはするものの、最終的には形式的、手続き的に見て違法かどうかが決め手になる。たとえば、公立美術館での作品の売却については、前例がないとか、常識で考えて収蔵作品はパーマネントコレクションとなるのが慣例だとしても、規則や条例にこうした規定がなければ、作品の売却は、他の物品同様に可能であるから、売却のための事務手続きに瑕疵がなければ、合法ということになりかねないのが現在の裁判の実情である。少なくとも裁判で闘って、実質的に勝つための最低限の条件はこうした芸術とは一見何の関係もない消耗な作業を行うことである。しかし、これで私達が勝利したとしても問題の本質的な解決とはならないだろうが、行政の美術館としての行為には一定の歯止めをかけることはできるのである。
裁判所の判断の方法が、唯一正しい法的な権力のあり方かといえばそうではない。裁判所は、憲法が定めた抽象的な「表現の自由」の権利にてらして判断するのではなく、個別の法令や条例など下位の具体的な法的な定めがなければ、いくら憲法で「表現の自由」が規定されていても、私達ひとりひとりが主張できる権利とは認めてくれない。しかし、こうした裁判所の立場とは別に、すくなくとも表現者や鑑賞者の側の権利として、抽象的であっても「表現の自由」の権利を主張するという立場はありうるし、そうした主張をはっきりと打ち出す必要がある。今回の場合で言えば、作品処分が表現の自由にとって、深刻な抑圧となることを、個別の法規(作品処分権をさだめた会計規則など)の形式的な合理性を超越して主張する考え方である。これは、極めて困難なことだが、行政や制度の側が「表現の自由」を、美術品の所有権や管理権などを巧妙に駆使しながら規制している現状にあって、私たちがとりうる立場は、抽象的な「自由」の権利を対置させながら、行政による隠された検閲の制度を打ち砕く以外にない。

■美術館という「制度」と芸術の内包する「表現の自由」
ところで、次のような問いかけがあり得るかも知れない。もし私たちが行政の不当な干渉や検閲を一切はねのけられるような理想的な状態に到達したとして、そのときには美術館はどのような「制度」であるべきなのだろうか?
私は、こうした意味での理想的な美術館というのは、美術館という制度の本質からして、自己矛盾だと思う。美術館は芸術のための表現の自由を制約する制度とはなりえても、それを開放する理想的な制度となることはありえないと思う。「遠近を抱えて」の公開運動を訴訟という形式で展開してきたので、美術館についての、その否定的な見通しを含む原則的な観点を述べる機会はあまりなかったので、ここではこの点について私の考えていることを書いておきたい。
美術館は、作品を展示する空間であることを通じて、作品が「作品」になり、私達鑑賞者が「鑑賞者」となり、「作品」の背後に作家が立つ、という極めて伝統的な芸術の三者関係を組織する制度である。そして美術館は、この三者の関係を成り立たせる空間を管理し、作品の「意味」を構成し、鑑賞者を啓蒙し、作家を動員する。美術館は、美術や芸術のための表現空間であるから、美術館の展示や作品は芸術の範疇に含まれることになる。それがどのような表現であれ、美術館という空間は、それ自体でその内部に含まれる表現物を芸術という範疇に転換する意味の機械であり、したがって、芸術の範疇に組み込まれた表現は、それがいかに実践的であろうとも、いかに反芸術であろうとも、それは芸術なのであり、芸術に還元されることになる。美術館だけでなく、美術ジャーナリズムや美術と称するカテゴリーを構成する諸制度は、美術というカテゴリーを構成する領域の制度である。
こうした制度は、アカデミズムの学問の自由同様、その領域において認知されたものにたいしては、最大限の自由を保障するようにふるまうが、同時に、あらゆる自由は、この領域ななかにかぎって例外として保障されるだけのことである。動物園の動物は、動物園という制度を認め、檻の中で生きる自由は最大限保障されるが、檻そのものや動物園という制度を否定する自由はないのと同様である。現代美術は、こうした近代的な芸術上の自由の制度そのものが動物園の檻の中の自由にすぎないことを直観し、この檻そのものを相対化したり無化する試みとして成り立ってきた。他方で、美術館はこうした現代美術のさまざまな逸脱した試みを、制度の側に回収する装置として機能し続けてきた。逸脱した表現を次々に「芸術」として認知し、美術、芸術のカテゴリー内部に押え込み、この逸脱した表現が決して社会的な逸脱行動にまで拡大することのないように慎重に白い壁の内側に隔離してきた。芸術の表現はいわゆる言語による「言論の自由」ではなく、行為をともなう「表現の自由」と深く関わり、したがって、言論の自由よりももっと本質的な意味での自由を要求する。だからこそ、現にある制度や価値観を保守しようとする側にとっては、芸術のための「制度」=檻が必要なのである。
美術館とは、この意味で現代美術が無条件でその存在を肯定的に前提できる制度ではなく、逆に、美術館がはたしてきた芸術というカテゴリーにおける弁証法的な役割を自覚した上で、このゲームに乗るのか、それともこの結論の決まりきったゲームそのものをひっくりかえすことにするのか、そのどちらかなのである。
原則論からいえば、わたしは、もはやこうしたゲームに参加することにはほとんど何の意味もないだろうと思っている。いいかえれば、結果的に美術館という制度を再生産し、創造的な意味を制度の側に簒奪されるようなこの種の弁証法に加胆することを拒否することが必要なのである。
先に、作家、作品、鑑賞者という三者の関係が制度抜きには成り立たないということを書いたが、現代美術はこの三者の関係に対して常に疑問を呈し、この三者の境界を揺るがす試みを繰り返してきた。作家によって制作されたのではない作品(レディメイド)であるとか、鑑賞者であると同時に作家にもなるインタラクティブな作品とか、作品とその外部の境界を意識的に曖昧にする環境芸術やインスタレーションなど、制度が形作る作家、作品、鑑賞者、あるいはこれらを取り巻く空間の力学が、作家にとっても鑑賞者にとっても窮屈であって、この関係を解体したいという自己否定的な欲求が常に存在してきた。現代美術を扱う美術館は、こうした現代美術の基本的な欲求を理解した上で、この欲求を美術館の空間のなかに呑み込む仕掛けを持っている。現代美術はこの意味で、美術館の表現の自由の許容範囲をおし拡げることに貢献した。しかし、結果として美術館は常にこの三者の関係を再生産し、作品の「意味」を占有し、さらに作品を物理的にまで独占する。現代美術と美術館は、美術というカテゴリーを再生産する弁証法の悪循環のなかに閉じ込められてしまう。「遠近を抱えて」の公開運動や訴訟は、作品の再収蔵と公開によって、美術館が制約している「表現の自由」の枠を押し拡ろげるために是非とも必要な闘いだし、その意義は大きいのだが、だからといって、このことによって「遠近を抱えて」をめぐる行政の価値判断や支配的な美術界の沈黙が打破できるということにはならない。いいかえれば、美術館という制度の制約なしに作品を公表できれば今回のような作品の死蔵やカタログの廃棄などはありえなかった、ということを考える必要があるということである。
しかし、もしこうしたことを射程にいれて「表現」を問題にするとすれば、現にある表現の制度を前提として成り立つ「作品」そのものもまた、無傷ではいられないだろう。作家、作品、鑑賞者という三者の関係を解体し、背後の組織者としての制度の意志を打ち砕き、既存の意味での作品という範疇での表現ではなく、制度への拒否の表現を模索する以外にないからだ。「芸術の自立」という近代の観念は、この自立の制度の政治性が露出することによって自壊することになる。芸術がその行為と表現に込めた創造性は、芸術というカテゴリーの檻に囲い込まれるべきものではなく、社会化されるべきものであり、そうなることによって、その創造性は生きることになる。【注6】


富山県立近代美術館の裁判も大詰めを迎えている。裁判そのものの結果がどのような形でだされようとも時間の経過のなかで否応なく「事件」は風化し、記憶に残る歴史的な事件とはなりえても、現に今ある美術館や表現の制度を問う同時代性には欠けるものとならざるをえない。
富山県立近代美術館の「事件」を経験するなかで、私は、多くの良心的な美術館関係者の支援を受けてきたから、この点では深く感謝するものだが、しかし、大勢としてはむしろ、美術館の「檻」を制度的に保守することの意志はゆるがなかったし、むしろそうした意志がきわめて強固なものであることを改めて確認できたと思う。こうした負の経験を現在に生かすとすれば、この裁判を通じて確認された美術館や行政の文化政策という制度の意志にたいしてより根底的なところから異義を申したてる観点や方法を模索することではないかと思う。美術館はもはや芸術にとって意味ある存在ではない、と言いたいのではない。むしろ逆である。美術館は現代美術にとってこれと立ち向かわなければならない大きな「壁」としての「意味」をもっている、といいたいのである。
これは、芸術をかいかぶりすぎている、だろうか?いや、そんなことはないと思う。そもそも、私達(鑑賞者であるか、作家であるかという区別とは無関係に、「私」たち、というのだが)の日常的な行為規範や倫理や価値に、芸術は常にさまざまな方法で(ということは、言語や色彩でということには限らない)違和感を表明し、場合によっては異義を唱えてきたからだ。その意志表示を実践的な回路の媒介することが必要なのである。芸術がアートであろうとする限り、こうした実践的な社会の改造と無関係であるようなあり方は、文字通り無意味な行為でしかないだろう。芸術の自立性? そんなものはあったためしがない以上、またふたたびありもしない芸術の自立の幻想にしがみつき、美術館に展示された作品なるものをありがたがることはないのである。

このエッセイは、裁判の感想からずいぶんはなれたものになったかもしれなが、現在の私の偽らざる気持である。多分読者の皆さんのなかにはいろいろ反論もありうるかと思う。出来る限り議論にはお応えしたいと思う。

【注1】控訴審判決が今年(2000年)2月16日に名古屋高裁金沢支部で言い渡され、原告のうち24名が最高裁への上告の手続きをとった。民事訴訟の場合、最高裁への上告は、自動的には受理されず、憲法判断に関わる場合や、過去の判例に照らして判例違反といえる場合などに限られる。そのため、上告の手続きも、上告理由書と上告受理申立理由書の二通を用意し、最高裁が上告を受理することを決めて始めて実質的な審理が行われることになる。上記二通の書類は4月21日付で最高裁に提出された。これらの書面では、とくに新たな主張はなく、控訴審判決の誤りについて、従来からの主張と提出した書証をもとに、主として憲法違反の処分であることを中心に展開した。最高裁では、法廷が開かれることはまれだと言われている。判決文がある日突然代理人のもとに届けられるケースすらあるという。ただし、控訴審の判決を覆す場合とか、重要な事件だと最高裁が判断した場合には法廷が開かれることもあるという。本件の場合、今後どのような扱いになるかは本稿執筆段階(4月末日)ではまだ明かではないが、場合によっては判決までに数年かかることもありうる。
【注2】日本の美術はそもそも政治嫌いである、という「神話」がある。これは多分60年代から70年代くらいを境に成立した都市伝説の類であって、実際は違うと思う。少なくとも1950年代なかばまでの日本の美術は政治的な動向と切り離すことができない。50年代の美術ジャーナリズムを論じる上で欠かせない『美術批評』のバックナンバーを一瞥すれば明らかである。しかし、政治性は50年代後半から60年代にかけて表現における「前衛」にとってかわってしまった。理由は、戦時期の戦争責任問題についての総括の不十分さであると私は考えている。トリスタン・ツァラが「シュールレアリスムと戦後」(『美術批評』55年2月号)を書き、アンドレ・ブルトンらの戦後のシュールレアリスムの脱政治性を厳しく批判したが、こうした観点は結局日本のシュールレアリスムにはうけいれられず、戦前に政治的な観点を自主規制して書かれた瀧口修造の『近代美術』が戦後になっても再三復刊され、現代美術のある種の「バイブル」的な位置を占め続けた。他方で、当時大きな影響力をもった共産党は、リアリズムの新しい流れを受け入れられなかっただけでなく、既存の美術館やギャラリーなどとは異なる芸術表現のための自立した空間の獲得には関心を示さなかった。
【注2】裁判沙汰にすることで、余計行政や美術館の態度をかたくなにするのでは、という批判がある。これは、間違っている。波風をたてることは、作家にとっても鑑賞者にとっても「得」なことはない、という暗黙の計算が働くことは避けられない。この「計算」こそが、実は民主主義社会とか自由な社会がもっている自主規制としての検閲なのである。行政や美術館にはその表現の内容に関して一定の限界があり、非芸術的な要素による政策的な価値判断を持っている。そのかぎりで、ある種のかたくなな態度をとっているのだが、裁判といった「事件」にでもならないかぎり、そのかたくなさは露出しないだけである。作家に無意識の自主規制をさせ、観客にいかにも芸術の自由あふれる雰囲気があるかのように演出し、そうした空間を組織することが美術館の機能である。裁判だけでなく、作家や鑑賞者の異義申し立ては、こうした「自由」の欺瞞をあからさまにするために、美術館はこれを嫌う。美術館が嫌うことをやることは発表の機会を奪われかねない作家にとって「得」なことではない。これが制度の抑圧なのであり、芸術をめぐるポリティックスである、ということを自覚しておく必要がある。
【注3】 「世論」がこうした検閲行為をチェックする客観的、中立的な存在だと言いたいのではない。「世論」を味方につけようとする行動は行政側も積極的に行うであろうから、「世論」のあり方そのものもまたポリティックスの結果なのである。
【注4】 「鑑賞者」は現代美術の世界では、19世紀的な意味でのそれとはかなり異る位置付けが与えられているし、作家、作品、鑑賞者の三者関係のある種の解体が繰り返し試みられている。本稿ではこの点を念頭には置いているがあえて「鑑賞者」という言葉を使う。以下、本当はカッコつき鑑賞者なのだが、わずらわしいからカッコはつけない。
【注5】 「遠近を抱えて」の公開運動が最初に富山で起きたときに、私たちは「大浦作品を鑑賞する市民の会」というグループを作った。このグループは作家とは何の関係もなく、作家にたして特にともに行動することを要請したこともない。パンフレットに寄稿を要請したことが2度あるだけだ。私たちは、公開運動の「主体」として鑑賞する者の運動を模索した。情報公開条例や特別観覧制度を駆使したりさまざまな試みを行った。皮肉なことに裁判の過程で、作家は売却した作品への権利についてはなきに等しいが、鑑賞者が県民であれば主権者としての権利が、またそうでなくとも鑑賞者としての権利は作家よりも保障されていることがわかった。一審で勝訴したのはこうした鑑賞者の権利に基づくものであったが、二審ではこの点で敗訴した。しかし、作家の権利は一審でもまったく認められなかった。
【注6】 多くの場合、パプリック・アートのような美術館という空間の外部で展開される芸術もこうした制度の外にあるわけではない。わい雑な雑音に満ちた空間を静穏な展示場空間のように「清潔」に保ったり、街興しで観光客を呼び込むための手段というのが、行政や企業が考えるパブリック・アートだから、街路などの公共空間の美術館化でしかない。文字通り、美術館という制度から解放された空間でのアートを模索するのであれば、日本の場合、街路における「表現の自由」は日本の美術館同様きわめて抑圧的であるから、パブリックな空間は決して自由ではないし、美術館と無関係でもない。