テロの脅威を煽る国連テロ対策委員会事務局上級法務官

共謀罪賛成派の国連テロ対策委員会事務局上級法務官の高須司江の主張が毎日に掲載されていた。国連サイドの専門家の発言として、共謀罪審議でも与党側におおいに利用されるのではないかと思うので以下私の批判を書いておく。越境組織犯罪防止条約は共謀罪なしで批准できるという日弁連はどう反論するのか。反論はしないとだろう。今更批准反対とはいえないだろうが。

高須は、共謀罪の成立は越境組織犯罪防止条約締結の前提でもあり「条約は、各国が協力してテロを含めた組織犯罪を未然に防止するためのもので、ほとんどの国連加盟国(187の国・地域)が締結しており未締結は日本などごくわずかだ。」という。国連国連テロ対策委員会に所属しているという立場からの発言なので、それなりに影響力ももちそうな発言だ。

しかし、187ヶ国も締結していて、本当にテロに効果があるなら今頃世界中からテロはなくなっていないとおかしい。むしろテロ対策としての効果は証明されてないし、人身売買、銃器取引、薬物などをめぐる国際組織犯罪の防止にも役に立ったとはとうてい思えないことは前にも指摘した通りだ。フランスやイギリス、ドイツ、チュニジアなどで起きたテロをどう解釈するのだろうか。むしろ人身売買業者摘を口実に難民の受け入れ阻止に使われるなど非人道的な取締りの正当化になりかねないと思うので、私はこの条約には大いに疑問があり反対だ。

テロ対策で本当に必要なのは、植民地主義の歴史的な反省のなさも含め、欧米列強の国家によるテロが事態を悪化させているという問題だ。ブッシュやオバマはドローンによる暗殺指示を何度か出し、ロシアやトルコの国家テロは有名だ。フランスもアフリカでは非常に野蛮な行為を繰り返してきた。(注)こうした国家犯罪としてのテロを取り締ることへの関心がほとんどないことが大問題だと思う。私の偏見かもしれないが、そもそも共謀罪の専門家である刑法学者などの世界では、国家犯罪の専門家はごく少数ではないか。犯罪学の教科書に国家犯罪、権力犯罪という項目は目立たないようにも思う。こうした環境がテロリズム問題への関心を狭めてしまっているようにも思う。

(注)チョムスキーやナオミ・クラインの著書などはよく知られているが、それ以外に下記が参考になる。フランソワ=グザヴィエ・ヴェルシャヴ『フランサフリック』緑風出版、ジョン・パーキンス『エコノミック・ヒットマン』、東洋経済新報社とか参照

高須は国連のテロ対策専門家として、検事から国連に出向しているので身分は法務省にあるのだろう。日本政府は、国連側としても共謀罪の成立が条約締結の前提であるということを主張する上で、高須のような立場の人材は有益だと判断していると思う。条約の締結には共謀罪が必須だという見解を国連の専門家の肩書きで発言しているので、条約批准は共謀罪なしでも可能だと主張してきた日弁連は徹底して反論すべきだろう。

また、高須は「多くの国は共謀罪を持つ。法整備なしでは、他国での処罰を逃れてテロリストが日本に逃げ込んでくる可能性がある」とも主張している。現実を無視した信じられない発言だ。もし高須の言う通りなら、とっくにテロリストは日本に逃げ込んでいるハズだ。こうした不安を煽る風評を拡散するような人が国連のテロ対策部門にいて日本の国益を看板にしょっていると思うと非常に恐しい。こうした人と条約事務局のUNODCもそのお仲間だというのが私の主観的な判断だ。こうした条約の背景事情も含めて、条約締結に反対なのだが、率直に条約反対が言えない雰囲気が日弁連や学界にはありそうで、残念でならない。

また、テロを煽る高須の発言には、いくつかの権力効果がある。高須の発言はとくにユニークなものではなく政府見解そのままなので、以下のことは同時に政府与党のテロの脅威を煽る言説にもあてはまる。

高須はオリンピックについては以下のように発言している。

「日本にはテロ組織がほぼ存在していないとみられ、国民は危機感があまりないかもしれない。しかし、テロリストの目的は注目を浴びることであり、2020年の東京五輪・パラリンピックは格好の対象だ。これに対応するにはテロ等準備罪などを新設し、犯罪実行着手前の早い段階で検挙できるようにすることが重要だ。」

今現在の危険がなくても、テロの危険があるという煽りは、日本におけるテロの危険レベルを引き上げる効果を政府が率先して実行するということを側面から支えてしまう。つまり、テロが現実化するような危険レベルまで国際的な緊張関係を刺激するような外交・安全保障政策を打ち出すことを容易にする効果を持ってしまう。テロの危険を煽るのは、テロを挑発するような軍事安全保障政策をとるということを公言しているようなものだ、ということだ。安倍政権は朝鮮半島の危機を鎮静化するよりも煽っていること(これに韓国のリベラル派のメディアは非常に危惧している)、ますます米国に同伴して戦争に加担すればテロの危険度は上る。そうなればオリンピックが狙われる可能性も高まるかもしれないが、それは安倍政権の外交・安全保障政策に原因があっての結果だということを見過すことになる。歓喜のイベントとしてのオリンピックの影で、日本の安全保障政策も戦争に前のめりになって、テロを呼びこむようなレベルまで進んでいくのではと危惧する。

高須のような議論の場合、テロが起きたとしたら「予測していたようにテロの脅威が現実のものとなった」と評価し、テロがなければ「テロ対策の取締りの効果があった」と自慢することになり、どちらにしてもテロの脅威を煽ることで政権への支持を維持するということに、起きた(起きなかった)事態を利用することになる。

こうして国際関係の複雑な事情が無視されてしまう。テロの問題は、政治・経済・文化をめぐる大きな国際関係のなかで捉えるべきことで、軍事安全保障や刑事司法政策はほとんど効果を上げることができないのは、対テロ戦争の出口が見えないことからもはっきりしている。しかし、刑事司法の専門家は、自分の専門性のなかでしか解決を考えないから、厳罰主義の取締りや立法化のことしか念頭にない。今の日本の動向は、いずれ米国のようにテロリストに対する拷問(特殊尋問手法と呼んで拷問とは呼ばない)も合法化しかねない。自分たちの専門性の限界を客観的に見ることができないのは、原子力村の原子力工学などの専門家が原発廃止を主張できないのと同じ問題であり、結果として取り返しのつかない悲劇を招き寄せてしまう。

この記事の最後で高須は次のように言っている。

「プライバシー侵害や捜査機関による乱用に対する懸念の払拭(ふっしょく)は重要だが、テロが五輪会場で起きた場合、多数の人が被害に遭うこととのバランスの問題だ。」

非常に興味深い発言だ。オリンピックで「多数の人が被害に遭う」ことへの関心はなく、さらに野宿者や追い出しをくらう住民など少数の人達の被害には尚更関心はない。そして、共謀罪によるプライバシー侵害を防止するとか捜査機関による乱用を禁ずるといったことには一切言及せず、プライバシーの侵害や捜査機関の乱用があっても懸念されない仕組みを工夫すべきだということを主張している。高須の論理に従えば、共謀罪は必須の立法で、それが人権侵害となっても、オリンピックのテロ被害とのバランスでいえば受忍すべきだということだが、「受忍」といった我慢や苦痛の感情を「払拭」したいのだと思う。。従来ならば「プライバシーの侵害や捜査機関の乱用」とされた警察の行為をプライバシー侵害とは呼ばないとか捜査機関の乱用にはあたらないということで合法化することを意味しているのだろう。言い方はソフトだが、極めて保守的な異論排除型の典型的な権力者に同調する発想だと思う。高須には、共謀罪によって権利侵害は現実のものとなるが、このことへの危惧はなく、想定に過ぎないテロの脅威への不安を煽る姿勢は、それ自体がバランスを欠いている。

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