共謀罪と「道義刑法」の亡霊

以前、述べたように、共謀罪は、現行刑法の基本的な枠組みを根底から覆し、自民党改憲草案に対応した国家による犯罪と刑罰の体制を構築する試みの一環として位置づけなければならないから、問題は、憲法を含むこの国の統治の基本を根底から覆す可能性をもつものだ。

戦後憲法は戦前の憲法と比べて基本的人権の保障を大幅に拡張したことが最大の特徴の一つだと言われてきた。憲法は前文で「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」することを宣言し、第三章はまず個人の自由を権利として保障することをとりわけ強調した戦後憲法の理念は、国家権力が個人の自由に干渉・介入してはならないということを戦前の憲法との大きな差異として打ち出したことを意味した。戦後の憲法が大幅な人権保障を国家に命ずるものであるなら、同時に刑法の基本的な考え方も根本から改訂されなければならないように思う、現実にはそうはならなかった。

刑法には、戦前と戦後を通底するこの国の近代国民国家としての権力とイデオロギー、あるいは秩序と支配における一貫した国家観を読み取ることができる。明治期に成立した刑法は、現在まで、資本主義的な国民国家としての一貫性を保つために、明文をもっていかなる行為が「罪」であり、国家はどのような刑罰権を行使できるのかを示す機能を担い続けており、その基本的な枠組は、戦前と戦後の間で変更はない。共謀罪に限らず、刑法に関わる立法問題ではこの刑法の来歴を念頭に置く必要があるように思うので、以下はこの点についてのメモである。

●権利の剥奪としての刑罰

自由の権利は、民主主義を標榜する近代国民国家に共通する建前の権利として重視されてきた。したがって、国家による刑罰は、国家の強制力をもって個人の自由に例外的に干渉し抑圧することを合法とする異例の権力行使だということになる。人権は奪うことのできない人間の生得の権利ともされるが、犯罪者に対してはこの権利を奪ってもよいという意味においても例外的な措置である。犯罪と刑罰の権力を国家に付与するのは、人間としての扱いに区別を設けることを正当化する抜け道にもなっている。

一方で普遍的な人権を、他方で国家による権利剥奪を、ともに法の名の下に正当化するのは、憲法が抱える大きな矛盾だ。日本国憲法でいえば、10条から29条までの権利条項と「法律の定める手続」があれば権利は剥奪できるとする31条との間には本質的な矛盾がある。この矛盾を問題化することが必要であり、このことは刑事司法の制度、刑法と刑事訴訟法のそもそもの正統性を問い直すということである。言い換えれば、近代国民国家の体制は、その理念通りに、人権の普遍性を体現する統治機構なのだろうか。刑罰は人権を剥奪するに足るほどの普遍的な暴力なのだということはこれまで証明されたことがあっただろうか。

犯罪を新たに追加する立法は、どのような場合であれ、これまで犯罪とされていなかった行為を犯罪化する。共謀罪の場合は、彼/彼女の行為ではなく意思を新たに犯罪とし、この意思に対して刑罰が課され、自由を剥奪され苦痛を与えられることを意味する。共謀罪で有罪とされて投獄される場合、彼/彼女に与えられる刑罰の意味は何なのだろうか、いかなる効果を期待して刑罰を課すのだろうか。共謀を犯罪化するという問題は、共謀罪に対する刑罰とは何を意味するものなのかをも問うという問題であることを忘れてはならない。

●戦前を継受する戦後刑法思想?──小野清一郎の道義と刑法

現在の刑法は、大逆罪や不敬罪などいわゆる「皇室への罪」を除いて、基本的に戦前のままに残された。言い換えれば、戦後民主主義は、国家による刑事司法が基本的人権を侵害する危険性について、刑法に立ち返って検証することを怠った。いや怠るどころか、戦後の刑法改正の動きをみると、むしろ戦前回帰を意図した流れが一貫して大きな影響力を持ち続けてきた。それはなぜなのだろうか。

刑法が外形的な行為だけでなく内面の意思を犯罪化し、道徳と一体化する傾向を最もはっきりと示したのは戦時期だ。たとえば日本法理研究会で刑法に関わり道義的刑法を主唱した小野清一郎もその一人ではないか。彼は、戦時期に、基本的人権の国家による侵害を積極的に肯定し、その学問的な裏付けを与えようとした刑法学者たちのひとりである。小野は戦後、公職追放が解かれた後に、東京第一弁護士会会長、法務省の特別顧問などを歴任した。そして戦時中の「刑法改正仮案」を引き継ぐものとして構想された戦後の刑法改正において刑法改正準備会会長も務め、学界でも法曹界でも大きな影響力を持ち続けた人物である。彼が戦前戦中に書いた論文などは、ファナティックな国体思想に関する著述を除いて、戦後も基本的な学術文献として評価され再版されてきた。【注1】

小野は、戦時期の国体思想を前提とした刑法思想の再構築を積極的に主導したが、その主要な場となったのが日本法理研究会であり、彼はその創立当初からの中心メンバーだった。この研究会の綱領は以下の通り。

「一、国体の本紀に則り、日本法の伝統理念を探求すると共に近代法理念の醇化を図り、以て日本法理の闡明並びにおの具現に寄与せんことを期す。
二、皇国の国是を体し、国防国家体制の一環としての法律体制の確立を図り、以て大東亜秩序の建設を推進し、魅延いて世界法律文化の展開に貢献すんことを期す。
三、法の道義性を審にして、日本法の本領を発揚し、以て法道一如の実を挙げんことを期す。」(日本法理研究会日本法理叢書第16輯より引用。(以下の【注2】参照)

小野は、この日本法理研究会の叢書の一冊として『日本法学の樹立──日本法理の自覚を提唱す』を出す。この中で小野は、「従来の法学は、或はフランス法学、或はドイツ法学であり、其の日本への移植受容が主であった」【注2】と批判し、「日本国家、日本民族の歴史的発展の中に内在するところの道理」として、自然法思想を否定する「日本法理」を提唱する。法と道徳についてはこれを分離し「法というものには外部的強制的軌範として僅かに手段的価値しか認めないのが普通の考え方」とした上で、従来の主張にたいして、「法と道徳とは共に道義の実現形態である。法は国家に於て実現されるが、しかしその法は道義に基くものであり、法そのものが道義なのである。法は道に基き、道はやがて法と為る。道義の国家的実現が即ち法である」とした。日本では法と道徳を一体のものとする長い伝統があり、この考え方は聖徳太子の「憲法17条」にまで遡る点を強調し、明治に西洋の実証主義的な法の概念が入ったために、憲法17条を法ではなく道徳と考えるようになったとし、こうした西洋流の法から道徳を排除する考え方を弊害とみて、道徳と法の一体化の回復を主張した。日本法理は「生きた国家の事理である、民族の生活に即した道義である。この故に民族的に規定されてをると考えざるを得ない」「正しい、正しくないという道義の意識は、我が民族精神の中に自ら内含されて居るのであって、その自覚を明らかにすることが、やがて日本法理を自覚する所以なのである」【注3】というのである。

小野は、日本法理の根本には「国体」があるとし、穂積八束と筧克彦と上杉愼吉らの国体についての憲法の議論を紹介しながら、明治維新を国体の自覚とし、国体と政体を区別して政体の変化に対して国体の普遍性を主張し、政体としての憲法を論じるべきではないとして上杉、筧らの議論を支持して次のように述べた。

「上杉愼吉博士が、飽くまでも国体論的立場に於て憲法学を構想されたことは、周知の通りである。上杉博士は国体の淵源を論じ、また国体の精華を論じて「日本国家こそは最高の具体的本質であると規定し、日本は神ながら一心同体の国柄であると言われていることを指摘しなければならない。天皇の御統治は皇祖天照大神と一体不二の立場に於てい給うのえあり而してそれが肇国の事実に淵源し、肇国の事実と離れざるものであることを筧博士は特に強調してをられるのである。」【注4】

この観点から大審院が憲法を引用して、治安維持法裁判で示した「国体」の定義、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ル」は十分ではないとする。大審院の解釈は形式的に過ぎず「国体の本義に徹したとは言い難い」のであって、天皇統治が「神ながらの御統治であるということに、最も大切な意味がある」とし「「かくの如くして、日本民族が天皇の御統治の下に於て一体と為り、国家的生命を道義的に展開して行くところに国体法理がある。」【注5】

しかし、「神ながらの統治」とは何なのかは、「日本国体の真髄」「日本民族の純正なる宗教的体験に於て自覚した、絶対的なるもの」「皇祖天照大神の和魂(にぎみたま)を本とする御稜威」「大御心の現われ」などと言い換えられているに過ぎず具体性はなく、実際の刑法典がどのように根本的な変更を被ることになるのかも曖昧なままで、1944年に全面改訂されたという『刑法講義』では、西洋の刑法学説を概説した後で、こうした刑法体系の内在的な批判というよりも、とってつけたように道義的刑法と刑罰が論じられている。

「日本刑法は日本国家的道義を根本とするものであり、天皇の御稜威の下に国民生活の道義的・法律的秩序を完うし、億兆の和を実現するものであらねばならぬと考える。犯罪はその国家的道義秩序に対する忍ぶべからざる侵害であり、刑罰はかかる行為を否定し、抑制せんがための権威的・権力的行動である。其は応報として犯人に苦痛を与えるものであるが、しかしそれによって国民一般をして客観的道義観念を意識せしむると同時に、亦特に犯人をして道義の厳粛性を知らしむるものである。(中略)其れは単なる犯罪予防の功利的手段ではない。勿論其は人倫的文化秩序の最小限度の要請としての保安を無視すべきではない。応報と予防とは日本刑法において二律背反ではなく、和の協同体的道義において止揚せらるべきものである。」【注6】

●道義刑法と戦後

小野はが戦後も戦時期の道義的刑法の主張を撤回も反省もしていないという発言を繰り返している。中山研一は小野の戦後について「戦前の到達点が戦後どのような変化をうけたのか必ずしも明かではない」としつつ「刑法教科書の戦後新訂版にも日本法理の自覚がそのまま援用され、日本的な国家的道義とそれにもとづく日本的刑事政策の推進が主張されているところからみると、むしろ基本思想に目立った変化はなかったといってもよい」と述べた。【注7】また、中山は次のようにも指摘している。

「(小野は)敗戦によって、日本社会が思想的、世界観的に今までの国家主義、全体主義的なものの優越から民主主義、自由主義、結局個人主義的なものの優越へち推移しつつあるとし、新憲法の制定実施が法のあらゆる領域において深刻な変化を必然的ならしめていることは認められている。しかし同時に、それにもかかわらず、歴史にはどんな飛躍があってもやはり連続したものであり、明治以来の、遠くは大宝養老以来の法律文化の意義は失なわえれてはならないとし、歴史的、文化的な実体的論理は、新憲法という一つの立法によって決定されてしまうようなものではないと結論づけられているのである」【注8】

白羽祐三はもっと端的に小野の言葉を引きながら戦時期との連続性について言及している。白羽が引用した小野の発言は以下のようだ。

「私を『侵略的』国家主義者と断定した公職追放の辞令には甚しく不満であった。私は未だかつて『侵略』を主張したことはない。国家主義者──ナショナリストという意味で、──であっても、それは日本民族の生存と文化とを強調する『文化的』国家主義である」(「三十年前の八月十五日と私」『法学セミナー』242号、1975年。
「『法律時報』の昭和19年1月号‐4月号の巻頭論文として私の『大東亜法秩序の基本構造』という論文が掲載されている。これは紛れもない事実である。そして、それが敗戦直後、マッカーサー総司令官の命令に基づく公職追放審査委員会によって、私が一切の公職からの追放を決定される主要要因となったのである。この論文は、切迫した当時の状況の下において書いたものであり、日本をはじめ、中華民国、当時の満州、フィリピン、タイ、ビルマなどの諸国代表(インド代表の立会)によって調印された『大東亜共同宣言』を根拠とする法理論なのであるから、私は当時も今も、国内法上、また国際法上、方法的な理論の発表であったと確信している」(「人間は永遠に危機的存在である」』法律時報『50巻13号、1978年)【注9】

小野のこのファナティックとすらいえる道義的刑法は、その極端な天皇主義イデオロギーの露出がとりわけ批判の対象になってきた面もあるが、むしろこうした特殊な国家観を抽象して国家、犯罪、刑罰の相互関係と行為主体となる「人間」をどのような関係で捉えているのかという観点から読みなおすことが彼の戦前戦後の継続性認識を理解する上で重要なことのように思う。

彼の基本的な刑法認識は、犯罪構成要件を違法性の類型化と道義的責任の類型化の双方を含むとする独創的な見解にあると評価されてきたが、こうした主張は1920年代に遡る。【注10】1932年の『刑法講義』第三章「行為者の道義的責任」では、犯罪の成立には、構成要件を満たす事実と行為の違法性だけでは「充分ではない」として「更に其の行為に付き行為者に道義的責任ある場合に於いてのみ之を罰すべきである」と述べ、道義的責任とは「反道徳的なる行為に付き其の行為者に対し道義的社会倫理的非難を帰することを得べきことを謂う」【注11】とした。違法性の判断は行為に対するものだが、「道義的責任はの判断は違法なる行為を行為者の人格に関係せしめて行為者自体を批判するもの」だとし、刑法によってこの道義的責任を問うことが必須だとした。そして、これを以下の二点に整理している。

「一 行為者が一般に刑法の維持せんとする文化的規範を意識し、其の意識に従って行動を制するの精神的能力を有すること。換言すれば是非を弁別し及び其の弁別に従って行為するの能力を有すること。此は謂ゆる責任能力の問題である。
二 当該行為を為すに際し其の行為の違法性即ち反文化性又は反規範性を現に意識したるか又は少なくとも之を意識し得べきかりし、従ってまた其の意識に因り当該行為を為さざることを得べかりしものなること。此は責任形式としての故意及び過失の問題である。」【注12】

敗戦直前に刊行された全訂版では基本的な考え方は維持された上でより一層「道義的軌範」への強調がなされるように修正されている。ここで小野が想定している「反道徳的なる行為」「社会倫理」「文化的規範」などという文言によって保護すべきとされているのは、その時代の国家が体現する支配的な道徳、倫理、文化であるであろうことは想像に難くない。

●刑法と道徳の一体化

しかし他方で、この道義という概念を明示的に天皇主義イデオロギーに固定させることをしていないというところが、小野のような道義刑法が戦後もある種の刑法イデオロギーとして延命できた重要な要素である。道義という概念は、ある種の記号作用としてその時代に応じて意味内容を変容させつつ、刑法と道徳の一体性の構造的一貫性を維持してきた。しかも彼の道義的刑法の前提となる法=道徳一体性の議論は、一方で東洋的な法の伝統をふまえつつも、他方でモンテスキューの『法の精神』のキリスト教の神観念を前提とした自然法と実定法の構造と通底するところがあるように思う。だからこそ近代刑法のパラダイムからの切断の苦悩なしに、戦時期は天皇主義の国体思想に、戦後は戦後憲法と民主主義のイデオロギーに自在に横滑りすることが可能だったのかもしれない。

一般に、既存の国家秩序を支える理念を肯定した上で、犯罪をこの国家理念からの逸脱、違反であると位置づけて、刑罰は犯人を再度国家秩序の理念を受容し、この理念に沿って思考し行動する人間に改造することにその使命があるとみる。ここでいう国家が西洋の民主主義国家なのか、ナチス国家なのか、それとも国体の本義を掲げる戦前の天皇主義国家なのかといった個別具体的な国家形態を捨象して国家一般に還元された抽象的な法と刑罰の議論が、権威主義的で抑圧的な国家を正当化する理論としての役割を担ってしまう。これは日本の問題ではなく、近代の思想や学問が一般的に抱えてきた問題でもある。

小野にとって刑罰は、この目的を達成するための手段であり、その手段は厳罰による応報であってもよいし思想教育であってもよく、その手段は、国家秩序と国家理念を達成する上で最適な方法を選択すればよいというものだ。近代刑法の基本的なスタンスとの根本的な相違は、国家権力の行使を法によって抑制する法の支配を絶対的なものとはせず、国家は法制定と執行の主体となりうるだけの至高性を備えているものであるということが前提されているという点かもしれない。ここでいう国家は、具体的な刑事司法の現場であれば裁判官であり警察点・検察などの法執行機関ということになり、こうした諸機関に幅広く裁量権を与えることを肯定することになる。国家は疑うべき対象ではないから、国家に内面も含めて従属することが人々の自由と幸福であるということにもなる。権力者からすればこうした刑法の柔軟な解釈を容認して国家の権威を肯定する価値観を背景とした刑法学が有力な学説として、また実務の世界でも有力な勢力になることを歓迎しないはずはない。

戦後70年の経緯を見ると、国家権力の刑罰権に懐疑的な立場をとるリベラルな刑法学は徐々に排除され、ほぼ一貫して厳罰化の道を歩んできた。こうした厳罰化は米国の厳罰化の歴史などとは異なって、戦時期の刑法イデオロギーが戦後刑法においても地下水脈のように継受されて、とりわけ法務官僚や検察官僚などのイデオロギーの基盤を構築してきたのではないか。【注13】小野に限らず戦時期に国策に与した法学者の大半は、自らの刑法学説を当時の国家イデオロギー(国体イデオロギー)に適用することを意図したに過ぎず、彼らが文字通り、自らの生き方として国体イデオロギーを受容したわけではなかったのではないか。だから、戦後体制に大きな葛藤なしに自らの理論を適応させることができたともいえそうだ。

この観点かたみたとき、最大の問題は、こうした刑法学者の戦争責任、戦後責任の問題が理論史・思想史としても未解決なままであるというだけでなく、未解決となった原因のひとつに、理由や根拠は曖昧なままに、いかなる国家体制であれ「日本」という国家に帰依するかのように寄り添うことを当然とする感情が法学者や社会科学の研究者や実務家の意識を支配しつづけているということにある。これは、国家を疑うということ、その懐疑の帰結としての現にある国家の否定やオルタナティブの統治の可能性を構想するという想像/創造力を放棄してしまうというところに行きつく問題でもある。(この問題はこれ以上ここで言及する余裕はないので別の機会に譲りたい)

●国家の刑罰権を疑う視点

上に例示した戦前からの犯罪と刑罰の基本構造の継続性は、二つの意味をもっている。一つは、戦前の犯罪と刑罰についての価値観が戦後にもまた継続しうる戦前と戦後を繋ぐ共通の土台が成文法の形式によって保持されており、このことを暗黙のうちに学界も実務の世界も共有したということだ。とりわけ、刑事司法の現場がこうした価値観を維持していることによって、現実に国家の暴力によって刑罰を課されてきた人々がいるということが、観念や理論を越えた現実の問題である。共通の土台とは、権威主義的な国家観とナショナリズムである。戦前・戦中の権威主義的な国家主義は、戦後においては、あからさまな天皇主義という分りやすい目印が排除されて基本的人権の尊重が謳い文句となったために、軽視されたが、法の秩序とは、国家の秩序であり、これが自由──つまり支配的な文化やライフスタイルや思想信条からの逸脱の自由──を排除することへの抵抗を極端に弱体化させ、事あるごとに、戦後の(不十分極まりない)自由ですら、これを脆弱化させて権威主義的な「文化」(道義といってもいいが)への回帰を促す力として作用してきた。

もうひとつは、憲法の改正やGHQ主導の戦後改革(労働改革や土地制度の改革など)に刑法は含まれなかった理由に関わる。天皇主義のファナティックなイデオロギーの側面を別にすれば、従来の刑法の枠組は占領軍もまた受け入れ可能なものだったということを意味している。この枠組とは、犯罪と刑罰を行為当事者の個人の問題に還元してその責任を個人に対してのみ問い、個人を処罰することに収斂するものだ。既存の社会秩序がいかに問題の多いものであろうとも、処罰の制度が法的に適正な手続によって制定されたものでれば、この制度がもたらす諸矛盾が個人の生存権や基本的人権を損うものであったとしても、制度は保護され個人の逸脱行為を犯罪化する。既存の秩序を維持することがこの秩序から逸脱する行為よりも保護されるべきものとみなされる。これが公序良俗とか公共の福祉の意味である。

言い換えれば、1907年に制定された刑法は、近代民主主義国家に共通する犯罪と刑罰の枠組として通用するものだとされつつ、他方でこの国のナショナリズムの秩序を再生産する価値観を保護する手段として効果的であると見なされたから現在まで延命できたのである。個人主義であるか集団主義あるいは国家主義であるかに関りなく、西欧の支配的な犯罪と刑罰の枠組みは、資本主義社会と国民国家の統治機構を肯定するだけでなく、この社会が抱える社会的な矛盾が犯罪現象として表出するという考え方を否定する。また、現にある国家による刑罰権、あるいは犯罪に対して精神的肉体的な苦痛を与える行為とそのための制度としての監獄を肯定するという点では、民主主義国家であれ独裁国家であれ、共通する犯罪と刑罰への態度が見いだされる。

●オルタナティブ社会にとって犯罪と刑罰とは

実は、この問題は、更に、資本主義批判における主要な理論と思想でもあるマルクス主義に基づく法思想(とりわけソ連や正統派のマルクス主義法学)においても、資本主義批判に階級社会や搾取の観点を導入しながら、犯罪と刑罰についての国家による権利剥奪と苦痛としての刑罰の問題に無関心であるという点ではほぼ共通したスタンスをとってきた。【注14】経済理論における生産力主義に匹敵する法理論における国家の刑罰権と暴力行使の肯定という問題がここには浮び上る。旧ソ連東欧に広範に設置された強制収容所問題は軽視すべきではない。こうして日本では、既成左翼の法学者も含めて、監獄の廃止、あるいは国家による刑罰の廃止が社会運動としてほとんど重要な潮流をなすことのないまま現在に至っているとみるのは厳しすぎるだろうか。これは、人種差別、貧困層への差別と社会的排除、囚人労働の搾取、ジェンダーと暴力といった問題への強い関心を背景に、欧米諸国におけるラディカルな刑事司法批判が60年代の新左翼運動のなかから登場し、ラディカル犯罪学とか、批判的犯罪学などといった流れがアカデミズムや社会運動のなかで一定の力を持ってきたことと対照的ともいえるかもしれない。

共謀罪だけでなく刑法・刑事訴訟法の改悪問題一般に言えることとして、こうした法改正に対抗する私たちのオルタナティブの視点を持つことが不可欠だ。共謀罪は犯罪あるいはテロリズムの未然防止を口実に、行為以前の意思の犯罪化であるが、こうした発想を政府や法曹界や学会の一部が支持するのに対して、意思の犯罪化を否定し既遂処罰の原則を主張するだけでなく、現在の刑事司法の制度がなぜ意思の犯罪化すら構想しなければならなくなったのか、なぜテロリズムを有効に阻止する手段を欠き、グローバルな不安定が持続するのか。あるいは、越境組織犯罪防止条約が対象とする薬物、銃器や人身売買がなぜなくならないのか、といった現在の社会が抱えている構造的な問題に目を向ける必要がある。そして、同時に、こうした「犯罪」と呼ばれる行為が、刑罰の厳罰化や警察などの捜査権限の拡大(あるいはグローバル化)によってもなくならないとすれば、それはこうした刑事司法の手法だけでなく、この社会がもたらす貧困や武力紛争、あるいは敵意や憎悪といった構造的な要因の解決に目を向けなければならないだろう。

共謀罪は、ここ数ヶ月が勝負という目前の大問題である。共謀罪に反対することは、現状を肯定することを意味するのではなく、国家による意思の処罰の合法化を拒否することを通じて、そもそも国家による犯罪と刑罰そのものを問うことえなければならないと思う。だから、共謀罪の廃案で勝利なのではなく、共謀罪を産み落した現在の刑法そのものを根底から再検討するという課題が残される。共謀罪がなくとも憂鬱な今の体制が続く。共謀罪の問題を理解するための射程は、目前の課題に縛られて戦術的に効果のある批判に収斂してしまうと、共謀罪の背景をなすこの国が明治期から一貫して保持してきた犯罪と刑罰の権力構造そのものを覆す観点がないがしろにされてしまう。そうなってしまうと、オルタナティブの社会を目指すなかで、犯罪と刑罰の問題にどのように向き合うのかという問題が軽視されることになる。現状を肯定して共謀罪に反対する運動にどんな魅力があるというのだろうか?現状を肯定することはとうていできず、だから更に現状を悪化させる共謀罪にも反対するとすれば、どのような社会であるべきなのか、あるべき社会では、犯罪と刑罰はどうあるべきなのかが重要な課題になる。現状の監獄や刑罰の制度を廃止することはオルタナティブ社会の必須の前提だとわたしは考えるが、こうした合意は、暗黙の内にはあっても、「共謀罪はいらない」ということを踏まえつつ、権力が犯罪を処罰することの本質を問いなおす視点は忘れていはならないと思う。【注15】


注1 小野の主要著作は、有斐閣からオンデマンド出版で入手できる。戦時期刑法学者の学説と戦後の動向については、中山研一『刑法の基本思想』、増補版、成文堂、2003年、同『佐伯・小野博士の「日本法理」の研究』、成文堂、2011年、白羽祐三『「日本法理研究会」の分析──法と道徳の一体化』、日本比較法研究所、1998参照。戦前・戦後の刑法思想についての批判的な歴史分析については、内田博文『刑法学における歴史研究の意義と方法』、九州大学出版会、1997年、同『刑法と戦争』、みすず書房、2015年参照。

注2 小野清一郎『日本法学の樹立──日本法理の自覚を提唱す』日本法理叢書第16輯 日本法理研究会、1942年、2ページ。なお戦時期の小野の主要論文は『日本法理の自覚的展開』、有斐閣、1942年に収録されている。

注3 同上、20-21ページ。

注4 同上、33ページ。

注5 同上、36ページ。

注6 小野清一郎『全訂刑法講義』、有斐閣、18-19ページ。

注7 中山研一、前掲『増補版、刑法の基本思想』、57ページ。

注8 同上、59ページ。

注9 白羽祐三、前掲『「日本法理研究会」の分析──法と道徳の一体化』、1-2ページ。

注10 松宮孝明「構成要件論/構成要件要素論」、伊東研祐、松宮孝明編『リーディングス刑法』、法律文化社、2016年、参照。

注11 小野清一郎『刑法講義(全)』、有斐閣、1932年、125-6ページ。

注12 同上、130ページ。

注13 厳罰化がグローバルな現象であることから、その原因について国際的な刑事司法制度や世論の動向を比較調査する研究がある。たとえば、日本犯罪社会学会編(責任編集、浜井浩一責任編集)『グローバル化する厳罰化とポピュズム』、現代人文社、参照。本書が対象とする「刑罰のポピュリズム」論は、新自由主義と刑罰の問題にも関心をもつものとして興味深いが、本稿で取り上げたような日本の刑法が有する戦前戦中の国家主義イデオロギーが戦後の刑罰観や厳罰化に与えた影響という視点が刑罰ポピュリズム論には必ずしも充分ではないように思う。なお国家の刑罰権については、宮本弘典『国家刑罰権正統化の歴史と地平』、編集工房朔、2009年参照。

注14 欧米の新左翼運動や公民権運動などに由来するラディカル犯罪学や批判的犯罪学のなかのマルクス主義犯罪学はむしろ刑罰や監獄の廃止を主張してきたという点で東側や日本の正統派マルクス主義法学とはパラダイムが異なる。たとえば、Ian Taylor, Paul Walton and Jock Young, The New Criminology, 40th anniversary edition, Routledge, 2013のIntroduction to 40th anniversary edition を参照。

注15 犯罪と刑罰をめぐる法の問題をオルタナティブを構想する社会運動は十分な討議に付してこなかった。何を犯罪とするのか、刑罰とはどうあるべきか、という問題がオルタナティブの問題としても軽視された。世俗的な左翼にとって、犯罪とは何なのか、刑罰とは何なのかという問題は、悲劇的な粛清を繰り返した革命運動の経験を総括する上でも避けて通れない大問題である。また、宗教原理主義者たちによる「処刑」やテロリズムを肯定するイデオロギーに対して軍事的な報復ではない向きあい方を論じるということがなければ、テロ対策と不安感情を扇動する既存の支配システムへのラディカルな異議申し立ての思想へとは展開されていかないだろう。遠い将来を見据えて、オルタナティブの社会を構想するとして、資本主義的な刑法がそのまま継受されていいはずがなく、そうであれば、どのように切断し何をオルタナティブとして創造することが、実質としての自由と平等を保障することになるのか。国家の刑罰権をそもそも認めるのか。立法とはどのようであるべきなのか。このように考えると憲法による統治の限界も射程に入れた法のグランドデザインの再設計というおおきな宿題に向き合うことになる。共謀罪批判はこうしたところにまで射程距離を延ばせなければならないと思う。

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