「通信の秘密」と表現の自由を共謀罪から防衛するために

Posted on Posted in 共謀罪, 監視社会

はじめに

共謀罪の成立が警察の捜査手法を根底から変える危険性があるが、この問題に、反対運動が十分な対抗手段をとることができないまま時間だけが過ぎているように見える。とくに、ネットが必須のコミュニケーション・ツールになり、多くの活動家や市民運動、社会運動の参加者たちがSNSやブログ、メーリングリストなどを活用している状況のなかで、共謀罪がこうしたコミュニケーションをターゲットとした捜査機関の権限の大幅拡張を合法化する危険性がすでに存在している。

ネット社会のセキュリティやプライバシーは実感することが難しい。60年代からの活動家たちにとって、パソコンもスマホも苦手ななかで四苦八苦しながらネットの「便利さ」に追いつこうとしてきたのではないだろうか。こうした苦手な世代を狙って、セキュティの穴を巧みに利用して監視するサイバー公安警察による共謀罪の利用も十分に念頭に置く必要がある。

共謀罪は、それほど私たちのコミュニケーションの秘密(プライバシー)にとって脅威になるのはなぜなのだろうか。監視社会批判派の我田引水のプロパガンダではないか、という疑問もあるかもしれない。しかし、以下で述べることから皆さん自身で共謀罪のリスクを判断していただければと思う。

(1)共謀罪立件に必要な「証拠」はコミュニケーションの内容そのものだ

共謀罪で立件する場合、捜査機関は、起訴し裁判で有罪とすることが可能な証拠を収集しなければならない。「共謀」は話し合いでしかなく、犯罪行為に伴う物的な証拠とは、傷害事件で使われた凶器やDNAなどの科学的に立証可能な「物的証拠」はない。証拠は、「共謀」の事実を記録したネットの通信記録や会議の記録などということになる。誰と誰が通信したのかといった通信会社が保管している通信のログ(通信日時、通信の時間、通信相手のアドレスや番号)では不十分で、会話やメールの内容そのものを取得なければならない。共謀容疑での捜査では、通信の内容を取得することが必須の条件になる。そのために、これまでの捜査機関の態度は一変して、通信の内容を何がなんでも「証拠」として確保しようとするだろう。共謀罪によってこれまでは想定されていなかったような段階から、これまで以上に広範囲に強制捜査やパソコンなどの通信機器の押収が行なわれることになる危険性が高まる。

●盗聴捜査の変質と拡大の恐れ

盗聴捜査も様変わりするかもしれない。例えば、これまでの盗聴捜査では、犯罪に用いられると疑われる回線を期間を限って盗聴し、犯罪関連通信を把握し(これが盗聴された通話の2割程度にしかならないことがプライバシー侵害として問題になってきたが)、そこから実行行為に関わる犯罪の摘発が行なわれた。犯罪関連の通信それ自体は犯罪行為ではなかった。しかし共謀罪では、犯罪関連通信そのものが共謀行為として犯罪とされる。通信の内容そのものが犯罪を立証する直接の証拠になり、検挙の根拠になる。実行行為に至らなくても、通信だけで立件できることになる。従って、盗聴捜査の位置付けは、本来の犯罪に対する補充的あるいは捜査の端緒をつかむための手段から、それ自体を犯罪とみなす犯罪捜査の対象になる。共謀罪は300前後の罪を網羅するから、これらの犯罪の証拠を把握できる能力を捜査機関が持つべきだというのが捜査機関や法務省の言いぶんになるだろう。共謀を犯罪化した政権、議会、法曹界の現状では、これに抗う声は少数にとどまり、共謀罪の対象犯罪全体に盗聴捜査を拡大される危険性がある。

●蓄積されたデータへのアクセスの拡大

とはいえ、盗聴法の最大の限界は、リアルタイムの通信しか対象にできないということだ。既に行なわれた過去の通信は対象にできない。捜査機関にとって、蓄積された通信データへのアクセスには別の手段が重要になる。

ネットの大量監視がメタデータを網羅的に収集するもので、これが監視社会化をまねく重大な問題としてこれまでも指摘されてきたし、私もそう思う。共謀罪は、こうした大量監視の主な対象になるメタデータ(メールの送受信の記録などで、通信の本文は含まない)から人間関係などをあぶり出すための必須のツールだ。こうしたメタデータやこれまで政府や捜査機関が収集してきた膨大な個人情報データなどを突き合せながら、通信の内容まで把握すべき人々をあぶり出すことになる。こうした人々の通信は盗聴捜査の対象になるだけでなく、やりとりされたメール、アクセスしているネットの宛先などを網羅的に監視してその内容をできるかぎり把握しようとするだろう。とくに、プロバイダーに蓄積されたメール、facebookやLine、twitterなどでの通信などの具体的なコミュニケーションの内容を把握しようとすると思われる。こうして大量監視を前提に、捜査機関の関心が共謀という犯罪を構成する「相談」「話し合い」の内容そのものの把握へとシフトすることは明かだと思う。実社会でも、集会や会議、デモなどで公安警察が会場の外で参加者が誰なのかを監視しビデオや写真撮影するなどの違法行為が野放し状態だが、今後は会場でのコミュニケーションそのものが共謀罪を構成する可能性があるとみなして、より大きな関心を寄せて内容を把握しようとするだろう。室内盗聴、おとり捜査、スパイの送り込みなど、新たな捜査手法がこれまで以上に関心がもたれることになる。

共謀罪が成立したことによって、裁判所への捜査機関の令状請求もまた「共謀罪容疑」によるものが可能になる。こうして、これまでは裁判所の令状発付が不可能と思われたケースに対しても裁判所の令状が発付されるようになる。同時に、共謀罪を前提に、捜査機関は民間の協力を得やすくもなり、これまで以上に容易に民間が取得した個人情報の提供が行なわれるようになりかねない。資金の流れを監視するために金融機関に、集会や会議の内容を把握するために会場施設の管理者に、「証拠」となりうるような内容へのアクセスを要求する捜査機関の圧力は強化されるだろうと思われる。

●プロバイダーには膨大なデータが蓄積される。

ネットに限定していえば、私たちがネットにアクセスするには、スマホやタブレットであれパソコンであれ、契約しているプロバイダーなど接続サービス業者の仲介が必要だ。会社や学校であれば、組織内のネットワークを外部のインターネットに接続させるシステムの管理部門がその仕事を担う。ネットの管理者は「root」と呼ばれたり「スーパーユーザ」と呼ばれて、自分が管理しているサーバの「全能の神」である。一般のユーザがアクセスできない管理ファイルなどにも自由にアクセスでき、ユーザのファイルやメールにもアクセスでき、ユーザの権限をコントロールし、パスワードを変更したりアカウントを削除することもできる。こうした管理者を捜査機関は法的な強制力をもって協力させようとする。共謀罪はこれまでできなかった法的強制力の範囲を大幅に拡げ、管理者がやむをえず指示に従わなければならないケースが飛躍的に増えることになる。

ネットがコミュニケーションの必需品になったために、メールサーバ、プロバイダーに保管されている通信履歴、携帯電話会社の取得する携帯などの位置情報、DropboxやiCloudなどクラウドストレージのサービス、SNSが取得しているユーザの個人情報など、私たちがネットでアクセスする先のサイトなどが取得しているIPアドレスやネットサーフィンの記録、ネットバンキングやクレジット決済などの取引きデータまで、これらが網羅的に把握されてしまえば、私たちのコミュニケーションのほとんど全てが丸裸になる。これらは、捜査機関からすれば、共謀罪での立件に必要な証拠の宝の山とみなされるだろうし、これを見逃すことは、共謀という犯罪を野放しにすることだといった理屈が刑事司法の体制として定着し、メディアが追随し、人々が常識として受け取ってしまう危険性が今ここにあるのだ。

(2)共謀罪は捜査機関の人権侵害を合法化する

共謀罪を立証するためには、私たちのコミュニケーションそのものを捜査機関が取得して証拠としなければならないということについて、共謀罪反対運動では、ほとんど中心的な争点にはできなかったと思う。私もこの点をもっぱら強調して批判を論じてきたわけではないので、私自身の批判のスタンスへの反省も込めて、今一度、捜査機関によるコミュニケーションへの監視、介入、情報収集を認めるべきではなく、こうした捜査から私たちのコミュニケーションを防衛することの正当性を述べておきたい。

共謀罪を口実に私たちのコミュニケーションの内容を収集する行為は、明かな憲法違反である。憲法には次のように書かれている。

「憲法21条:集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。 」

21条は第一項で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」とあるが、あえて表現の自由をこのように明記しているのは、憲法が念頭に置いている集会や結社、言論、出版が、政権に批判的であったり反政府的な性格をもつことを理由に、権力によって弾圧の対象になることを禁じているのである。政権与党の結社や政権支持の言論の自由を保障したり、多数が当然とみなす思想信条を保障することが趣旨ではない。社会において少数であり、権力に対して敵対的な言論・表現の自由や結社の自由を保障することがその趣旨である。この規定を受けて第2項で、検閲と通信の秘密の侵害を禁じているから、反政府活動を理由に、検閲や通信の秘密を侵害してはならないというのが、その基本の筋である。いかなる社会集団であれ、その内部に様々な異論があり、権力への異論があり、政治的社会的な摩擦が存在し、時にはこれらの異論がやがて多くの人々の支持を得て権力の転換をもたらすことは社会の健全なありかたでもある。(憲法がこうした体制転換をも保障しているかどうかは議論がある)こうした異論や摩擦を通じて人々は複数の考え方に接しながら、意思決定を繰り返す。憲法は、ある側面ではこうした異論を保障する枠組であるが、同時に、現実の権力行使にあっては、むしろ異論を犯罪化して既存の権力を防衛する手段として刑法などの法制度が利用され、憲法の自由の権利は単なる理念の域を出ない場合が実はほとんどの国民国家の現実でもある。ここに憲法のジレンマあるいは欺瞞があるのだが、今はこの問題には言及しない。「法」が私たちの権利を保障する枠組として機能するかどうかは、そこに書かれている「文言」そのものに受動的に依存するのではなく、私たちが「法」の意味するところを体現する主体として、権利を行使する正当性を意思表示する行為者として存在することを示す以外にないのである。

【注】勿論「結社」が政治的であるとは明記されていないから、いかなる集団の形成もまた憲法は保障しているし、実際の行為となれば犯罪となるような事柄であっても、それが言論、出版という範囲であり、またそれが実行行為に至るわけではない集会や集団である限りにおいてはこれは保障される。

共謀の立証のために捜査機関は通信の内容に介入しなればならず、通信の秘密を侵害しなければならないことは明らかであるにもかかわらず、政府も国会も憲法における通信の秘密の規定と共謀罪との関連を無視しただけでなく、多くの刑法の専門家たちもまた通信の秘密条項への侵害という問題には言及しなかったと思う。これはかつての盗聴法の国会審議の場合以上に、憲法の通信の秘密との関わりへの関心は低かった。盗聴法が既定の法となり、憲法の通信の秘密条項の解釈が根底から覆されたことの効果がこうしたところにも現われているともいえる。

おわりに

共謀罪は、憲法が私たちの権利として保障している通信の秘密を公然と侵害する権力による人権侵害の法である。この法律そのもの違憲性を問うことや廃止法の成立をめざす必要があるが、それまで私たちは、通信の秘密を保障されない環境に置かれなければならないのだろうか。そうあってはならず、私たちなりの通信の秘密を防衛するための積極的な行動をとる必要がある。共謀罪の捜査が憲法の保障する通信の秘密の権利を侵害するのであれば、私たちが憲法に保障された通信の秘密を防衛するための対抗措置をとることは、私たちの権利を守るための最低限の防衛措置である。もし共謀罪を理由に、犯罪の立証に必要であるという理由でコミュニケーションの内容が常に捜査機関によって把握可能になるとするならば、同様に、あらゆる犯罪の可能性のあるシチュエーションを前提に、捜査機関がフリーハンドで私たちの日常生活やプライバシー空間に介入することを認めるべきだということになる。繰り返そう。私たちは権力による人権侵害を正当化する法を認めないし、私たちの通信の秘密を守るための手段をとる権利は憲法が保障している、私たちの基本的人権である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です